ポジティブ流産〜死別を乗り越えるステップを短期間でふむ〜思い出を作る意味

今日は「サロン月草」でしたので、レポをのちに書きます。
 とても大事な自分の場所だな。と思います。



時系列として先に、流産を家族でむかえ、ささやかながら自分たちの手で弔えた。
 また子どもたちに導かれるように、体が諭すように、その存在を忘れないままに
 気持ちをいやす機会をもらっているということを記しておこうと思います。



一時の興奮状態を過ぎたので、記憶がすでにおぼろげですが、たしかに様々な感情を味わいました。
 同じ誕生日なんじゃないかという予感どおり
 (9/20の記事 流産経過 http://d.hatena.ne.jp/halcyon_1983/20150920/1442688158
 陣痛を迎えるまでつわりだけが続く中で
 あぁやっぱりそうだったんだという悲しみ
 思い通りに動かない体へのいら立ち、
 こんな思いをしなければならない、、育たなかった命への怒り
 果たしていつ降りてくるのだろうか(お産待ち)というドキドキと不安
 悶々とした一週間でした。



もう言葉であらわせないけど、その間の感情の動きが
 10年来取り組んできた父との死別における感情の動きと酷似していたように感じます。
 だからこそ、陣痛を迎え、今日くる!ってわかってからは
 間違いなく、自分が生まれ変わることができるという確信がありました。
 根拠のない自信がありました。
 ただの高揚感だったかもしれないけど。
 お産によって、もたらされるものがあるって体が信じ切っていた。
 そして、死が私に大きな恩恵を与えてくれることも経験上知っていました。



出血も増え、陣痛もあり、トイレと仲良しの日に美容院って。。と迷いつつも
 すっきりしないと出てくるもんも出てこないという確信のもと
 なんとか到着。
 しかしますます陣痛は強まるし、塊もおり始めるしで内心ヒヤヒヤしながら
 それでも笑顔でおなかに宿った命と一緒に写真を撮って40分の運転。
 だましだまし、途中で休憩しようかと迷ったけれど、立ち上がっちゃだめだと思い
 何とか帰宅。



その直後、コントロールのきかない出血が始まり風呂場に駆け込むと
 一気にどしゃ〜っと、つるっと出てきてくれました。。
 しみじみ、あ〜〜〜〜〜〜〜〜出てきてくれたぁ。と立ち尽くし放心状態になりつつも
 明らかにこれとわかる塊を手に取り温度を確かめ
 ゆっくりと出血の始末をし、病院に電話をし、しばし冷蔵庫に同居することになりました。



もうおなかに宿った命とは「話せなく」なっていたので、そこに何も誰も宿ってはいないという感覚もあったけど
 そんなことより率直に、直感的に、出てきた塊のことを「いらなくなったもの」ととらえた自分がいました。
 決してそのときは、手のひらに乗るナマコ状のそれを美しいものとは感じられなかった。
 これからの自分に必要なくなったものを内包して、形あるものとして出てきたんだと感じました。



それでもやはり、頭の私は弔いたい気持ちが強く、検診までの二日間塊に話しかけたりしていました。
 ずっと話しかけ続けたら腐らないんじゃないかなんてことも考えてみたりしました。




偶然、息子が同行できるタイミングで検診。
 親子3人で、先生が開いていく塊の内部の小さな胎盤や受精卵を確認させていただきました。



それはそれは美しい、透明の球体でした。
 それは卵でいう黄身の部分で、カラザにあたるところに、赤ちゃんがいたという状態でした。
 エコーでしか見られなかった「命の証」が、直接確認できて
 それがとても美しかった。
 おなかにいたんだな。という納得感、満足感のようなものを抱きつつ。
 病理検査にまわす、業者に引き渡す、自宅に持ち帰るという選択肢を示され
 息子は一緒に帰ると即答。
 私も希望していたので、そうさせていただきました。



夫にもう一度開いて見せたときには、その透明の球体はなくなってしまっていましたが
 それでも確認してもらった後、子どもたちと庭に埋めました。



ろくに手入れできていない庭のどこに埋めようと真剣に考えましたが
 獣に掘り起こされないように、雑草に紛れてしまわないように
 やはり墓石なるものが必要なのだなと、素朴な発見をしつつ。



いつもすぐ目に付く場所に
 また、もう帰ってはいましたが、早く魂が帰りますようにと
 かつて子殺しが当たり前だった時代に、土間や玄関先(よく踏みつけるところ)に
 赤子を埋めていたということを思い出し、
 庭に敷いたブロックの下に埋めることにしました。
 実際にはその場所を踏んで歩かなくなりましたが。。


穴を掘り、埋め、野草を供え、水をかけ、甘酒を飲んで…


なんてことない儀式で、一区切りしたという安堵感に包まれました。


吉村医院の田中先生から、「産後」にかわりなくまた、「命にかかわる出来事のあとですし」ということで、
 安静をやんわりくぎ刺されました。
 こうした一つ一つの言葉遣いに、命への敬意を感じ、心穏やかにさせていただきました。
 生理2,3日目くらいの悪露が3週間ほどつづくこともあると伺い覚悟していたのですが、
 その二日後にピタッと出血が止まって、腰が閉まる方向に動くのが分かりました。
 その後、動けてしまうものだから「これくらい」と思い、バスの迎えのためにダッシュしたところ下腹部痛。
 しまった感の通り、翌日微量の出血。
 「まだ忘れないで」と言われているようでした。



自分の今の気持ちは次の子を望むことではなく、
 次の子が来るまでに自分があるべき姿、試しておきたいことを実現することに向かい始めていて
 ちょっと切り替えが早すぎるのかなと。。笑
その後少し、妊婦さんに対しての嫉妬心もあるなぁと、
 思い悩むほどではなくても自覚するようになりました。



娘は、どうも赤ちゃん返りというか、自分が「小さい」というアピールが増え、
 お姫様だっこ(赤ちゃんを抱くように)をせがんできたり
 相変わらず授乳も頻繁で、不意にスタイ(よだれかけ)をほしがったりしました。
 もしおなかの子が育っていたら手にしていただろうと迷わず買っている私もいました。
 そのほかにも、人にあげるつもりだった離乳食用のスプーンを娘に使わせてみたりしました。
 娘は、今までが「おさがり」ばかりだったので単純に自分のためのアイテムを喜んでいるところがありましたが
 私としては「あるはずだった」光景を体現してくれているような気分になり
 それが一つの思い出・光景になることで癒されているような感覚にもなりました。


死別、別離をのりこえる4つのステップとしてある本で紹介されていたのは

  1、死(別れ)を理解すること
  2、悲しむこと
  3、思い出を作ること
  4、前に進むこと

です。

そしてここでいう前で進むとは以前も書きましたが

(2015/7/7記事 自分の言葉が自分を癒す  
 http://d.hatena.ne.jp/halcyon_1983/20150707/1436243687

 「人を愛し、人生を楽しむというリスクを負えるようになる」

 「悲しみを忘れるのではなく、ふたたび人生に参加するための準備にはいる」


ということです。



今日月草で、子どもに「死」をどうつたえたらいいかという話題が出ました。
 その子の年齢や、文脈にもよりますが
(疑問の持ち方によっては宗教や思想によって受け止められ方、考え方が違うことに触れることもあるかもしれませんが)
 幼児であればまず、科学的な事実が伝えられたらよいのではと思います。
 呼吸が止まること、心臓が動かなくなること、
 一度死んだら生き返ることはできないこと、身近な魚や虫と同じように腐っていくこと
 などです。


そして、付け加えたのは、
 (特にその質問のきっかけになったできごとが彼らの大事なものとの死別であったらなおさら)
 そのもの、人のことを「話してもいいよ」と伝えることです。
 思い出を封印する必要はない。
 それがつらいことでも楽しかったことでも、話したり、絵をかいたり、表現していいことを伝えてあげること。



身近な死にたいしての様々な思い、不安、葛藤を語ることは時としてタブーにされがちです。
 それは周囲の聞く側が悲しすぎるからかもしれないし、
 自殺など他言しにくい状況のときにも起こりやすいケースだと思います。
 でも、ただ封印するだけでは、息苦しくなるばかりで乗り越えることは難しいと思います。



愛したら愛した分、別れがつらい。そんなリスクを負ってもなお愛したい、愛そう、
 人生を楽しんでみよう。


そう前に進めるのは、思い出をぼんやりと放置せず、フィルターをかけず
 連れていける、またはおいていける状態にできるからじゃないでしょうか。


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最後に流産に関してもう一つ。
 胎内で心拍停止の状態になってから日を待たずに手術の話をすすめられることに
 悩み、葛藤している女性たちの存在も強く残りました。
 実際に心の準備が整う前に処置され、取り出された赤ちゃんの形跡を確認することもなく
 悲しみの置き所を失ったままに何年も過ごされる方も多く聞くようになりました。



流産に、産休って聞いたことがありません。
 そもそも「流産です」ってわざわざ言う人は少ないと思います。
 今回、ここぞとばかりにたくさんの人に経過を伝えてみました。
 すると「私も実は」と口を開いてくださる方が多いのにも、分かっていつつ驚きました。



精神的に、とてもつらい方が多いと思います。
 おいそれとは吹っ切れることができず時間がかかるでしょう。
 夫婦仲に影響が出るケースも多いと思います。
 家事や育児が困難にもなるでしょう。
 そういう時に助けを求められる人は少ないのではと想像します。
 早期に現状を受け入れることができた私などはかなりまれなケースだと思います。(自然流産、死別の経験、情報入手、心の準備段階など)


やはり、死別・流産というのは、サロン月草の大事なテーマになるなぁと。
 自分自身の体験が生かされる場があるのなら、ぜひ必要な方にお届けしたいと決意を新たにしています。
 


というわけで、シェア歓迎します。笑  

続  と思ったけれど、夜更かし厳禁につき、、サロン月草「親子で性の話(幼児&親編)」レポは近々。おやすみなさい。