すごく悲しくて、どこかうれしい。〜多言語の世界へ〜子どもに死を伝える

ものすごい久しぶりに長文に挑もうとしている。
 エネルギーもいるし、時間もとるのが難しく、しかも伝わりづらい。爆
 だから、しばらくSNSでは「五行」前後を目安の発信をと思ってきた。


しかしながら、今日はちょっと違う。
 娘一人不在だから?それだけで余力があるということなのだろうか。
 ともかく、いつものごとく手の動くままに、収まりきらなくなった何かを書いてみようと思う。

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子どもの前では無意識に気を張っている。
 そうでなくても涙腺のよわってくるシーズンだ。
 私にとっての夏休みは、そんな無意識レベルでセンチメンタルな時期なのだ。


近所の商店のおばさまが、買い物後の雑談の中で、
 熱射病でなくなった子のお父さんが、「先生を責めないでほしい。」という
 ようなことをおっしゃったと教えてくれて、
 たまたま一人で買い物に出ていた私は、そこでこみ上げるものがあった。
 結果は悲しい。
 一人の幼い子が亡くなった。
 避けたかった。
 悲しくて残念で、無念。
 しかしゆさぶるものはそれだけじゃなかった。
 現場の方々の慈しみ、いたわり、その子をみんな愛している。
 最も傷ついている人同士の支えあい、やさしさ
 そこかなあ。。まだつかみきれない。
 かなしすぎて、でもどこかうれしくて、涙が出てきた。



優生保護法に基づく強制不妊手術ついて、出生前診断の関連を含めたNHKの特集
 劇団態変の出演もありつつ、
 いのちに優劣などない。
 幸せかどうかは本人しかわからない。
 という、あまりに当たり前のいのちの叫び。

また、豪雨の災害の裏で死刑執行された、正気戻らぬまま真相解明のないまま
 葬られた麻原氏を思いつつ
 障がい者虐殺の歴史、またその背景や実態の考察。
 「悪人」や「人権」を知らぬ人たちが実行したわけではない。
 ごく「ふつうの」人たちが、当事者への「思いやり・善意」と信じた結果の悲劇
 という面をもつことも含め、若い世代に伝えようとするドイツの姿勢。


子宮じゃない。
 珍しく右の卵巣がノックした。
 

からだはうそをつかない。


なんだろう。
 ひどく悲しいけど、どこかうれしい。


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昨年の秋からご縁があった、「ヒッポファミリークラブ」に先月入会して
 平均して週に2度ほど、メンバーの集いに参加している。
 そこでは老若男女問わず、手を取りあい、輪になっておどって
 多言語を聞こえるままに「うたい」、音を「みつけ」
 自己紹介や近況、言葉の気づきなどをシェアしあったりする。


そのほかに留学、研修などで日本に在住する海外出身の方々との交流や
 メンバーが世界中のあちらこちらへ行きます。
 ホストします。
 などという話題に事欠かないことがとっても刺激的でワクワクする日々。


先日は、68名という規模で田原の海岸にて
 5か国出身者ごちゃまぜBBQがあり、たくさんの言葉が飛び交っていた。
 昨年くらいから、日本人だけの集まりに圧倒的な物足りなさを感じ始めていて
 やっとまずは身近に多文化多言語多国籍な環境ができたことがうれしい。
 もちろん私はまだ日本語と英語くらいだけど、
 伝わらない環境の愛おしさ!
 分かり合おうとするお互いの心の寄っていく感じがうれしい。
 それが「平和」だと、昨年の幼稚園のPTA主催の松居和氏のお話し会できいたことが
 このヒッポの活動を知ったとき、とてもしっくりきた。
 

もう一つ「老若男女」の中の、若者!!!
 5月にはマレーシアからの留学生の女性の1泊ホームステイのホストを体験し
 また、日本のヒッポのメンバーの中高大学生世代=10〜20代前半っていう、
 超久しぶりな年代(10年前は個別学習塾で幼年〜社会人の方々と接していたな〜)の
 子たちとの交流がとってもパワーをもらえる。
 って、オバサンか!!


いや、永遠の24歳から17歳に引き下げたこの頃だから、
 なんかむしろホームに戻ってきた!っていう気持ちもあるのかもしれない。
 それがみんなとっても素敵な方々で、目がキラキラしていて
 笑顔がかわいくて、親切で。
 気持ちが開いていて、心地いい。


あ〜これが、未来か〜〜!って。思えたらまたなんか泣きそうになった。
 もちろん、ものすごい母体の狭いところの人たちであることはわかってる。
 しいて言えば、恵まれた環境にある人たちだ。
 それにしても、一人でも二人でも、この世に(しかも日本に)こんなにキラキラした若者がいることに
 出会えたことが素直にうれしい。


我が子たちがまだ幼くて、教わることは多くてもリアルな未来を感じきれずにいるなかで
 そのちょっと上の先輩たちが、世界に軽々と飛び出して
 朗らかに育っている姿を目の当りにしたら、なんかね〜
 大丈夫って思えてる。


そして、みるみる吸収していく我が家の女子たちの変化に追いつけない。笑
 目覚めて「オラ〜!」 あ、、オラ〜!
 もうすぐ2歳になる、ただでさえ「なに〜?」ブームの娘の発言が
 日本語じゃないっていうトラップ。笑
 急に歌い踊りだす曲がフランス語らしき。お気に入りはインドネシアやマレーシアの曲だったり。
 24時間いろんな言葉の垣根を越えて、ただただ言葉・音の海にダイブしています。

ことばは、からだとともに。
 全身で多様さを吸収していくんだなあ。
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長男の質問は鋭い。
 何に鋭いかっていうと、長女とはまた違う予知能力というのか、
 テレパシーのように、私の心の引っ掛かり、ヒントをポンと投げてくる。


「年を気にしないで 生きてていいんだよね。」


(このくだりは育詩として別途ブログに転載予定。。)

まずは、なぜそれを問うのかと聞く。「それは年をとっても、っていうこと?」
 今回はとくに意味はなく、思いついたらしい。まさにテレパシー系の質問。

 「生きてたらいいさ。」

一言かえす。
 この時私はベッドでかなりまったり休憩モードだったけど、
 このチャンスは逃せないと、わさわさしだして、切り出す。


 病気などであまりに苦しみが強い場合など、
 安楽死が認められている国もあること
 尊厳死という考え方があること
 中には自死するひともいること。


小二の彼はふ〜ん。と聞く。
 
あとは、自分の思いを伝える。
 自死はもったいない。残された人が悲しすぎる。

 もし、そうしたいほど苦しかったり、悩んだりしたら、
 お母さんやお父さんにいってほしい。

年長の娘もなんとなくうなずく。

私 「で、いま生きてて楽しい?元気?」

息子「…口内炎

私 「口内炎では、死なないでよ。笑」



死をつたえること、性をつたえること、いのちを伝えること。
 小さい人に伝えるコツはおんなじ。

 逃げずに。問いのわけを聞く。
 チャンスがあればすかさず繰り返し(質問は宝。質問してくれたことに感謝する。)
 科学的な事実を淡々と。
 その話をするときのマナー(や知っておいてほしい個人的な意見、願い)も一緒に 
 ユーモアを大切に

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年長の娘は、先週くらいから、私の父の死因を気にしている。
 解剖はしなかった。
 半年ほどせきこんで苦しそうにしていて、最終的には肺塞栓。だろうと。


それはそれとしても、もしかしたら最後の最後は熱中症とか、そういう感じだったのかも。
 って、もうどっちでもいいんだけどね。今更。
 真夏日の昼に、倉庫の扉の具合をかんなで削って直していて。
 おばあちゃんは、父が死んだあとその削りかすを取っておいていた。
 母も私も気になっていたものだ。


今となってはもうなにもかも、よいのだ。
 失ったものの何倍も素晴らしく私の人生は動いてる。
 それでよい。


それでも、やっぱり体のどこかで、この季節を感じているから、、
 娘の言う通り、ちゃんと母を呼ぶ日と、里帰りの日をつくった。

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さて、
 これは実際どう動くかわからないけれど、
 人の子、犬の子、猫の子、、どんな命でもいい。
 いろんな形、方法があるからそれはまた選択していくとして。。

この頃心動くのは 里親 という言葉です。
 もう、いまだって実生活いっぱいいっぱい感半端ないんやけど。。これ以上どうすんの。。笑
 一方、精神的にはよっぽど平たくなってきてる。
 血のつながりなんて、こだわるものじゃないだろ。って。
 そう言う風に生きてる自分をみてみたい。

目下、普通の家事を分担してでもなんでも、
 逃げずに無心に当たり前に。
 日々暮らしを整えるのが下積み修行となるかね。
 

手放したら手放した分だけ、ど〜んときます。
 を信じて断捨離着手!土用入りしたし。

からの、、出版。ですわ。これは年内なのかどうなんか。おいおい。


以上久々の近況でした。
 
会う人会う人に、

 会うたびに軽くなってる。一皮むけてる。
 幸せオーラすごい感じる。
 会うとすごい「もらえる」

と言ってもらってます。
 もう、それ自体が私のしごとなんやね〜。

脱皮し続けて、どんだけ蝶 中から出てくんねん。みたいな。
 あ、ニックネーム「蝶」的なことばさがしてみよ〜かな。。ぶつぶつ。