サロン月草という舞台にあなたの物語をください〜自分と他者と話し合うこころ〜プロジェクト月草へ

1か月たってしまった。
 新月に合わせて、体があからさまにデトックスのピークを迎え、
 同時に生理ももどってやっとほっとしたところ。
 眠気に素直に従ってきたけれど、頭も感情も休むことはなく。
 体の疼きも感じながら、
 もっぱら手帳を黒くしていくだけできちんと表現できないむずがゆさ。



書きたいこと、詩のようなもの、表したい「今」やテーマも、その体の動きや気配も
 浮かんではおどってみたり書き留めてはみるけれど、、
 せめて動いていく日々の写真をアップしたいなとか、、
 思いつつもできないままエネルギーを持て余しながら過ごしている。
 中断されるいらだちに、相変わらず子どもたちに優しくなれない時も多い。



ただいろんなきっかけがあって、自分がこれからどんなことをしていきたいのか、
 っていうことはきちんと書いておきたいと思うし、HPをきちんとしたいとか
 履歴を整理しておきたい衝動がやっと生まれてきて
 その手始めに、一つ書いておきたい。



「サロン月草」という発明。
 それがどういう場なのかということの要素の一つ一つ、
 私なりに工夫し、準備し、心がけていたことが何につながっていたのか。
 思いがけず、舞台人と教育者の言葉から得られたような気がする。
 そして、それをつなげてくれた夫に感謝を。
 


この1か月書くことから遠ざかっていた理由の一つには、
 もう言葉に頼りたくないという気持ちが強くなっていたこともある。
 なんだか今も本当は書きたくない。
 感じてくれ、とただいいたいのだけど。
 それでは必要な人にも届かないから一生懸命書いてみることにする。くどい。



がんばって書く理由がもう一つ。
 月草というか、私のファン?は「こっそり系」が多いと自負しています。笑
 例えばSNSで「よかった〜!」とか、「こんなこと話してきた!聞いてきた!」なんて
 プライバシーのこともあって大きな声では言えません。
 その場にいたということも伏せておきたいこともあったり、
 写真もそんなに載せれませんし。
 実際どんなの?何話したの?と言われても伝えきれません。
 いわゆる「口コミ」に頼ろうとしちゃだめだとやっと気づきまして、、笑
 だからやっぱり、私が責任をもって発信し続けようと決めました。
 基本なのにね、、汗。
 昔から自分の中で腑に落ちないと動けない質です。


写真は「親子で性の話」の会の親子バージョンで絵本の読み語りの最中。
 本来の月草は、大人が輪になり、
 一人ひとりが順に「今の自分」の話をするフリートーク
 各会のテーマに関する思い、経験を話し合うテーマトークによって成り立っています。




「サロン月草」は、
 真摯に自分の「今」や「本当」に向き合い触れ
 他者と分かち合い気づきあいを重ねる経験という「話し合い」によって
 心を「解き放つ」場。
 次の一歩をどう踏み出すかを考えるきっかけとしての装置、それ自体が「舞台」。






ピナ・バウシュ 
 ドイツのダンサー・振付師


下のリンクは映画「ピナ・バウシュ夢の教室」のHPのイントロダクション。
http://www.pina-yume.com/introduction.html


見て驚いたのは、その過程やテーマが月草と酷似していること。
 恐れ多いとは思うけど、あまりにピタッときて鳥肌が立った。
 人と人とのかかわり、愛、孤独、暴力、悲しみ、、、
 そして解き放つということ。
 関わった人が変わっていくこと。



作品はピナからダンサーへの「問い」でできている。
 それによって、ダンサーたちには毎回気づきがあるという。 
 そういうところが特に魅力的にうつりました。
 自分がしたいことだと。




大村はま
 大正生まれの中学国語教師

下記リンク 書籍「日本の教師に伝えたいこと」ちくま書房 
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%95%99%E5%B8%AB%E3%81%AB%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A4%A7%E6%9D%91-%E3%81%AF%E3%81%BE/dp/4480090096


「…わからん」と言いながら、ピナのDVDの一場面を見て通り過ぎていった夫。笑
 次の鑑賞時に、今度はダンスに取り組んだ子どもたちが変化していく姿をみて
 月草と、その時彼が手にしていたこの本とがつながったと話してくれた。
 そして本にあるようなまっとうな「話し合い」を実際の公教育の場で実践する難しさをかみしめながら、
 月草への嫉妬のようなものも軽く打ち明けてくれつつ。



「話し合うこころ」という章だけだが、読むと私が月草の準備や本番
 (私にとってはずっと月草は感覚として「舞台」だ。)
 で、気を付けていること、こころ砕いていることがそのままに書かれていた。
 私は、なんと「話し合う」授業をしていたのかな?と
 ある種それが話題や性質的に、似たような体験を想起したり共感しあうことによって
 グループカウンセリングやピア(仲間の)カウンセリングのようにも働くけれど
 それに加えて、やはりそこで私からこれだけは伝えたいとか、一緒に考えたいという話題がたくさんあって
 話の流れや参加者の求めているものの中で適切なもの提供したり引き出したり
 代弁しながら場をつくっているわけで…。




「技術は磨けれなければならない」っていう言葉が頭の隅に居座ってるんだけど、
 たぶん私が持ってます。って言える数少ない技術はこれです。って今なら言えるかもと。
 「コミュニケーション能力」って平田オリザさんの本があるみたいで読みたいんだけど、
 たぶんそれに近いものが私の提供できるものなのかなと思います。




ファシリテーター?ともちがうような、

 円坐の橋本久仁彦さんの佇まい
(過去記事  縁坐〜極限で生きる  
 http://d.hatena.ne.jp/halcyon_1983/20150827/1440610871


 や、プレイバックシアター というほうがむしろ近い感覚でいる。
(過去記事 プレイバックシアターへ? 
 http://d.hatena.ne.jp/halcyon_1983/20150920/1442709742
  
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


感受性が強く起伏も激しい、つかみどころのない私と、
 ゆっくり着実に一つのことを成し遂げていこうとする自分にしか興味のない夫と
 正反対だし、趣味も違う。共通点ってなんだ?
 この前話していたら、2つはっきりした。
 (っていうか前から気づいてはいたけれど、たった2つか、ってことに驚いた。笑)



  活字中毒&世間話が嫌い



お互いにオトナになったり、自己開示を含めて皮を脱いでいくにつれて
 なんでもない会話が前よりは楽にスムーズにできるようにはなったと思うけど
 基本的には中身のない言葉を口にしたくない。



育った環境が「無口」が美徳みたいなところがあって、
 その代わり口にすることには重みと真実があったと思う。
 だからこわいのだ。
 話すことより、書くことの方が修正できる。推敲できる。
 昔から自然にそちらを好んでいたのだと思う。
 作文やら読書感想文やらなんやらはまったく興味がなくて苦労したけれど。。
 今となっては、自分がおしゃべりでびっくりだ。




 真摯に話し合う。
 自分の言葉で話す。



単純にそれに飢えている。飢え続けている。
 子どもネタ、健康ネタ、時事ネタ、美容ネタ、ビジネスネタ…
 恐れずに言えば、正直、どうでもいいんだ。



みんな奇跡的に生まれて、みんな必ず死んでいく。
 そのいのちの物語を聞きたいだけなのに。
 ずっと歯がゆい思いでいる。





私にあなたの物語 historyをください。




愛地球博のために結成されたユースダイアローグという学生団体による
 一つのプロジェクトにご縁をもらっていた時にプレゼンをすることになって、


 (父の死を挟み、結局途中で投げ出す形になってしまったので苦い思い出なのですが。。
 「あなたの大切なものは何ですか?」
 という問いに、写真(写メ)で回答を集めるというものでした。)


私の大切なものとして
「家族」「いのち」「his-story her-story」とあげました。



私はあなたの物語、あなたの歴史にずっとずっと興味がある。



そしてそれを、表現したいと思っている。
 できたら舞台として。ダンスなのか、朗読なのか、劇なのかそれは何でもいいのだけど。



サロン月草の参加者がそのまま役者として舞台に上がっていく
 その過程の中で、心身ともに「その人自身」が解放されていく。


そんな「プロジェクト月草」構想は記事を変えてまた書くことにします。
 その仲間を探しています。


 Live (人が生きる物語) を Book (ステージで形) にする
 Live&Book 艸 sou の本領が年月をかけて実現していくと思います。