孤独にするという暴力〜次回月草テーマ「暴力」男性参加可

5月に中止したサロン月草のテーマは「虐待」でした。
時が満ちて、次回(詳細未定ですが)男性参加のサロン月草のテーマはもう少し広く
「暴力」で開催するつもりです。
各家庭、各自の暴力傾向や経験をふりかえること。
それは苦しい作業でもあります。
でも無意識にあるいは見ないふりをして罪悪感だけ膨らますよりも
誰かに助けを求めてもいいし、そういう自分も含めて認めること。
その影響を受ける人の痛みを軽減する方法を知っていること。

<サロン月草の主要テーマ>

性、お産
別離、死別(流産)
暴力

タブーと言われるこれらのことから、
自分の歴史を知り、他者との違いや多様さを知り

命と
今を生きることと
負の連鎖を軽減することを考えるきっかけになればと思います。

歴史を知り、負の連鎖をとめたいのに。
 国の歴史が動いた夜、私は陣痛の中にいました。
 まだおなかにいますが、小さいままで生まれる予定です。また書きます。




リンクのニュース(「乳児虐待で母親逮捕(yahoo news)」 )について、言いたいことがあるのですが少し。

生後一か月の娘と2歳の息子。
 悪夢?というかもうどうやって生きていたか記憶から葬られている2年前が思い出されます。
 私の場合は、夫や、その家族も実家も力になってくれました。
 それでも、娘の泣き声に日に何度も発狂していました。

どんなに待ち望んだ妊娠出産でも、産後の孤独な状況での育児は何とも言えないつらさがあります。
 とにかく泣き止んでほしい。
 それだけのために、手をかけるのは実は簡単にできてしまうことなのです。

インタビューされた若い男性は、
「夜中に泣き叫んでいる」ことで「通報できた」のではと反省としてこたえています。


そのとき必要なのは通報ではなくて「助け」です。
 泣かれて通報されるような世の中こそ、余計に泣き止ませることへのプレッシャーになると思い至らないのでしょうか。
 子どもは泣くものです。
 そして、母親が満たされていなければなおさらに、それを感じ取って泣くものです。



息子のときは、一日中トイレにも食事にもろくにたちあがれず、
 おっぱいをあげ続けた日もあります。
 本当にそのままの状態で12時間たって放心以外の何物でもありませんでした。


男の人の中には、冒険や修行という名のもとに「荒行」を成し遂げようとする人もいるようですが、
 「孤独な」妊娠、お産、育児はまさにそのものです。
 あえて悲観的に書いてみましたが。。。
 もちろんそれでも抱き続けたい。
 もうろうとしながらでも寝る間も惜しんで
 寝顔を見続けていたくなるほどに愛おしいわが子です。



人を孤独にするという「暴力」に社会が敏感であってほしいと願います。



下記去年、駅で子を足蹴りした女性を通報したニュースを受けて書いた記事
http://d.hatena.ne.jp/halcyon_1983/20140623/1403452053
「 人を動かすときは、まず抱く〜命抱く性」

うん。過去の自分の書いたもの、反響あったものはいつ読んでもケッコウ読めます。笑