「女性のための無料タロット占い講座」ご紹介

実は最近水面下で真剣に

カードや心のプロに成長すべく学ばせていただいています。

今までやってきたこと、経験してきたこと、提供してきたこと、実験してきたこと、それらをタロットを看板にして集大成できそうな気がしています。

 

今回お世話になっているタロット講座をご案内します。

 

世界平和のため!と無料提供されている志もすてきですし、

集合的無意識」をはじめとする心理学用語、

スピリチュアル系で使われがちな、

「意図する」とか 「自分が中心で」

ということを丁寧に言語化してくださって、

腑に落ちまくっています。笑

そして最終的なスケールの大きさにワクワクしています。

 

目の前の人と向き合うことで、世界平和につながる。

 

イメージがすでに手ごたえに変わりつつあります。

 

もともとカードやイメージから言語化することは好きだし、

占いも日常の一部として生活しているので、

そういう直感力、体感を磨いて活かしていこうかなと思っています。

 

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以下転載です。

興味のある方は、いずれ私に依頼していただいてもいいし、自分でできるようになるのが早い!!

 

コメントすると、かげしたさんから直接お返事いただけるのも励みになりますよ!

下記リンクにおすすみください♪

___

 

森野さんとかげしたさんのコラボ企画
「女性のための無料タロット占い講座」
 
「占いを求める人が依存せずに幸せになれるように。 そして占い師自身も一緒に幸せになれるような、 そんなタロット占い師を増やしていきたい!」 というボランタリーな想いで運営されている無料の講座

~~~~~~

~~~~~~

・タロット占いを身につけたい、 また活かした仕事をしていきたい方

・依存させず、 自分の運命を選んでもらえるようなタロットの活かし方を取り入れ たい方

・カウンセラー・セラピスト・コーチを行う上で、 タロットを少し取り入れてみたいと考えている方

こういう人にはピッタリだと思います!

次回の申し込みを受け付け中らしいので、
興味ある人は↓↓ここ↓↓ を見てください。

https://sp.iroironoiro.life/tarot_thanks9

 

 

我、人にあらず~アソビasobi企画 @くらがり渓谷不動の滝&寺部海水浴場

 

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#アソビasobi企画  転載不可


ヘアメイク 「珀」yumi okada さん     インスタ @bizanyoshinogawa

カメラ   「凪」satomi kamezawa さん インスタ @ito_cafe_nagi

 

お二人による【アソビasobi企画】

”その瞬間”をシカク◇の中でスパークさせる。という

すべてが即興のポートレート撮影 を体験してきました! 37歳の誕生記念。

 

この企画を知って間もなく、岩場で撮影している夢をみて

すぐにオファ―を出し、

ヘアカラーカットをいつも無茶ぶりに真摯に答えてくださる 

#テクライズ豊橋 ishikawa さんに

「人にあらず」というコンセプトと

インスピレーションどおりの色合いで仕上げていただき

 

予定を前倒ししてばっちりなタイミングで撮影日をむかえました。

 

水面下では、日々わきあがるイメージや言葉たちをこれでもかというくらい

独り言のように吐き捨てながら、じたばたしつつも、

全てをスルーしてくれたお二人のおかげで、笑

当日はクリアな気持ちでその場にいられました。

 

我が子を見守るようなゆみさんのあたたかいまなざしと、

汗をかいてもしっとりとつややかになじむメイク。

the 直感!!!のさとみさんの決断力と実行力!

 

撮影のはじまりにはとまどいながらも、

その場を確かめ対話し、水や光と呼応しながら

呼吸を取り戻し、

 

その時間を心から楽しみました。

とにかくこれにつきる!

自然に囲まれ触れながら、からだを動かし動かされてきました。

 

滝と川から、急遽海へと移動し

夢の通り、岩から岩へとその温度、質感を感じてきました。

 

陰の中の陽。陽の中の陰。

そのものでいられたような感じを、帰ってしみじみ受け取った。

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#アソビasobi企画 転載不可

 

撮影直前に湧いた詩と、

SNSでは名字を捨て「kei 桂」と名乗るに至った自分の

木のような体、火のようなオーラ、大地のような魂すべてに潤いをもらったような

そんな日でした。

 

我 人にあらず

我 花であり

  鳥であり

  流れであり

  光であり

  白き ことばなり

 

2020.9.28

 

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#アソビasobi企画 転載不可

 

かざらずに、素の私を引き出して撮っていただけたからこそ

作りこんででも、自分の世界観を表現したい欲 というものも自分の中にあると改めて知ることもできました。

 

それもまた時期が来たらチャレンジしていきます。

贅沢な1日をありがと~!

 

余談

データの受け取りをめぐっては、またしても長年悩まされているPCとの不和というか、思い込みというか、ミラクルというか、やっぱり妖精さんがおるんかい?を経験して、苦笑

(データのコピーペーストが思うようにできない、PCが写真を自動選択しちゃう!?

とりこんでないはずなのに、勝手にピックアップしてバックアップとってる?などなど 謎。。そして時間がかかってしまいました。)

久しぶりのブログ更新という形に落ち着きました。

 

自分でも戸惑いがあったので、まだどのメディアにも書いてませんが、、

スピリチュアル、神社、龍神さま、

カード、タロット、占いなど、体感とのリンクが確信に変わってきて

以前よりさらに前向きに自分の暮らしに取り入れているこの頃です。

 

さいころから月を愛で、

トランプ占いを延々並べては崩してとやっていた子どものころを思い出しつつ。

 

自分がどこに向かっても、設定した未来は穏やかで平和で調和しているから。

誰からどういわれようと、

自分の感性を信じて、無理をしないで自分を大事にして、

今を重ねていこうと思います。

大転換期・人生丸ごとネタ帳〜執筆に専念〜私という生き物の価値は「命へのくそまじめさ」

ブログを引っ越すかとも考えましたが、自分にこれ以上の負担を強いないよう。
 また、今までの自分の取り組みや努力の延長に今溢れるように感じられる
 心の平安と、自分のすべきことが見えてきたというギフトにたどり着けた
 ということを忘れないようにこのブログとFBページとに集約していきたいと思います。
 とにかく決めつけずにぼんやりやっていきます。
 ここまで書くのに15分かかってる。爆
 こういう読み手への配慮的な導入苦手だわ。笑

FBページ
https://www.facebook.com/kei.suzuki.9406

note
note.com


今までのように長い文を書くことが、自分にとっての負担が大きいことが分かりました。
 ので、あまり推敲せずにかきます。
 が、FBやインスタで更新しているような短い発信の裏付けとして
 近況を少しずつ断片的にですが、表明していこうと思います。

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2018年の夏休みの終わり
 精神的に、死が脳裏を横切るほどの落ち込みがありました。
 これは10年まえの過労その他のストレスでうつになったときと同じような感覚でした。


この経験で、たとえば
 自分にとって「時間を守る」ということが死ぬほどのストレス
 になっていることに気づきました。
 そのほかにも思い当たることが多々あり、はじめADHDを疑って
 専門家の力を借りることを決めました。

これは、私だけの問題ではなく、「思い当たる」ことの中には、
 親や祖母、あるいは子どもたちの様子もふくんでおり
 もし何か特性があるのなら、理解したうえで対応したいと考えたからです。


わたしにとって、安易な受診ではなく
 特にこの数年間、自分にとって最も触れたくないような
 思い出したくないような、悲しすぎるような
 いろんな感情をきちんと掘り起こして、感じつくして、別れを告げ。
 あるいは
 我慢を強いすぎていた生活を解放し、
 生まれて初めて、本当に自分がしたいことに正直に生きてみた。
 そんな取り組みの末で手に入れた「幸せなくらし」を手に入れたからこそ。


それでものこってしまう「圧倒的な疲労感」
 それに伴う「激しい苛立ち」に一番大事にしたい家族をまきこんでいることに
 絶望感を感じたのです。


書き出すとつい長くなりますが。汗
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精神科初診で、
 発達障害のテストを受けたいこと、
 結果がどうであれ、今抱えるさまざまな暮らしづらさ、生きづらさを
 和らげる方法を探る。
 という目的をくんでくださり、次の受診で心理検査を受けました。


その結果が今月に入って出ました。
 ざっくり言えば、
 ・能力の凸凹が大きい。
 ・しいて言えばアスペルガー症候群の傾向が少し、という程度


能力の凸凹で、私の場合特化していたのは、「知覚統合」でした。
 「非言語性の推理、目で見た情報の統合」つまり、
 「目から入った情報に敏感すぎる。」


ということでした。(他にも強く出た特性がありますがそれもおいおい)

 そのために、内面的な作業や、何かしようという意思を持ったことに対して
 感覚的に邪魔が入りやすく、
 それを排除しながら「集中」しようとするため
 大変なエネルギーを使っている。
 

…。
という状態で35年間生きてきた。ということでした。






もう、なんか、、もう、、心底ほっとしました。
 なにより、家族に自分の「つかれやすさ」に対しての説明ができて
 対処や工夫の糸口が見えたこと。


これから小出しで、幼少期からどんな生活をしていたか、
 そしてこの結果を受けてからも、引き続き自分についての発見を山ほど
 体感しながら、気づきながら生きているのかを
 自分のためにも、それを目にしてもしかしたら楽になるかもしれない人のために
 書き続けたいと思います。


結果を受けて
 私の武器は「高いIQ」じゃなくて、
 それを駆使して、その時々を精いっぱいの実行力と情熱で突破し
 自分を成長させ続けることができる
 命に対してのくそまじめさだと。
 

能力的に「できそうなのにできない」自分を責め続けたのをやめて
 その期待に応えられないことにも傷つくことなく
 堂々とありのままの自分に自信を持つことが、やっとできました。


私の「社会的価値」であり、とらわれていたような「生産性」は
 なにか一つのことをやり遂げることではない
 私がわたしを生き切って、感じ切って、いのちとして自ら成長し続ける姿を
 見せ続けることだと


確信しています。
 からだはずっと知っていて、
 今までとそんなに変わらない宣言かもしれないけど、
 内面的に、ものすごい後押しがあるのを感じます。

生きるぜ、私。

45分ふぃにっしゅ。

わたしにとっての「生産性」からの脱却・いのちを箱詰めすんじゃね〜!

SNSでのシェアで、岩崎航さんという詩人を初めて知りました。

 そして、一つ前の記事に同じく、まっとうに、いのちの叫びをされており
 また居ても立っても居られない気持ちでPCの前にいる。


これから書くのは、いまの自分を整理するためのものになると思う。
 そして結局オヤジの話かな。笑
 めちゃくちゃだけど、今回は徹夜は避けたいので、推敲せずにアップします。
 
「条件をつけられる命なんてない 相模原事件に通じる杉田議員の発言
筋ジストロフィーで生活の全てに介助が必要な詩人、岩崎航さんが、杉田水脈議員の寄稿を読んで真っ向から対抗します。」 ↓

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/iwasaki-vs-sugitauematsu?utm_term=.ic894Ppaaz#.xjbGoMDrrW

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詩というのは、生きる喜び、いのちの輝きをうたうのだと、
 あらゆる表現活動に当てはまるのだと思うけれど、
 そのようなことを、書いていた詩人がいた。
 私も、その一人として、書き続けていくんだと思う。


私はきづくと、性教育にたずさわっていて、
 いつもいうのは、「性教育は人権教育なのだ」と。
 この一言で相手をウルウルさせたこともある。
 よくわからないけど、ある一言でウルウルさせちゃうのも父の血なのかもしれない。
 何度かそんなときがあった。
 非常勤の教師をしていたこともあった父の、授業を一度受けてみたかった。


実生活で、子どもにはひどい接し方をしてるとおもうけど、
 いのちのはなしからは絶対逃げない。
 これだけは外していない。つもりだ。
 一歩も十歩もお互いに踏み込んで、いのちの本音を語り合う
 それは私にとっての楽しみでもあるから。
 子育てのご褒美のようなとき、会話だから。
 

父はずっと家にいて、本を読んで、1日4時間くらい仕事して
 母と並んで、コーヒー飲んで、
 手料理食べて、しあわせだと堂々と笑って。
 それは彼の生きざまだった。
 ただそこにいるだけで、
 「生産性」のうすさ?にハラハライライラしつつも。笑
 家族みんながだまってほっとしてた。
 いなくなったら、あからさまによくわかる。


学生時代は当時の朝鮮文化研究会のサークル活動で
 差別問題に取り組みながら、母と出会ったりしてたんだ。
 

母もその関連で、女性の人権について随分勉強に誘われたらしい。
 私がセクシャリティにかかわることに敏感に育ったのも
 単なる男好きとか、女も好きとか、そういう素質もあるんだろうけど
 どちらかというと、私は動物としてのヒトっていう存在に興味がある。


私の関心は、彼や彼女のそれと違うから、
 もっと世界をこの目で見たいし、肌で感じて
 たくさんの人と出会いたい。


自然界の多様性の尊さ、どんな存在も、この地球上での調和の一部になっている。
 ヒトも、個々の存在そのものが、
 ただそこにあるだけで
 他の存在につながっている。
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私自身つい最近まで「生産性」に躍起になっていた。
 「生産性」のある自分でいたかった。
 雇われしごとが続かないまま、心を病んでやめて、
 ただ純粋に望んでいた「動物として」体験したかったお産
 子どもに恵まれつつも、自分や過去やに引っ張られて
 目の前の今の輝きに気づけない日々もあった。


じっとしていられない。
 子どもや家すら満足にみられない、そのくせ有り余る自分が
 「役に立ち」たくてはじめたこと。
 いくら感謝されても、どんなに喜ばれても、自分は喜ばない。
 足りない足りない。


自分でじぶんを「生産性」で振り回してた。
 本当にほめられたかった父はもういないのに。


4度目のお産、日帰り手術、、圧倒的に手が足りない。
 助けてもらえることすら知らなかった。
 動けなくなってしみじみと、
 私が世界に、家族に、友人たちに生かされている
 愛されている


動けなくても、何もできなくても
 「ここに生きていていい」
 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私と夫の出会いでもある、タイとビルマの国境へのスタディツアー
 タイのエイズや売買春問題や当時民主化前のビルマからの難民の人たち
 命がけの経験をしている人たちとのふれあいの旅が
 最近違う角度で思い返される。
 

14年前、住処を追われた少数民族の人たちに会った。
 母語よりもまず生き残るために、英語、ビルマ語、タイ語を使う必要がある。
 私は何よりもこのことを、帰宅して真っ先に父母に報告して泣き崩れたのだった。
 いろんな国の人が暮らしているとはいえ、公用語は一つ。
 単一言語の国では想像できない感覚だった。


ほんとうに親身に「英語は話せないといけないぞ!」と諭してくれたおじさんが忘れられない。
 忘れられなくて、たぶん去年は英会話(スマホ留学)に踏み出した。
 そして、多言語へ。
 言語に出会う旅でもあった。言語を超える旅でもあった。


年に7度も村ごと転々と引っ越ししていた人たちもいた。
 今思い返せば、そんな中でも、女の子たちはお母さんたちに 
 伝統的な刺繍を習って、針を動かしていて
 民族につたわる楽器や音楽を残していて
 子どもたちは水浴びをしていて
 笑いあっていて


楽しいこと、したいことをしたらいい。


っていう意味が全然分からなかった。
 何かのために何かをしていたことの方がよっぽど多かった。


やっとやっと去年くらいからつかめてきたのだ。


ただ生きて、
「したい」とも思わないほど、
気づけばしてるようなことだけ、そのまましてたらいい。


ただ、私がそこにいればいい。


障害とよばれるものや、性的なこと、目立つ個性だけじゃない。
 どれだけその「生産性」というものに、あるがままのいのちが翻弄されてきたか。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は人に会いたい。
 三度の飯より、人に会いたい。
 

その多様な「人となり」、一人一人の持つ物語のなかを泳いでいたい。



 ひととは、なにをして人となるか。
 人たるゆえんは。


そんな問いを持ち続けていた、父の血が私に生きてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

彼はヒトの長所として、理性とやさしさを上げていた。


第一子妊娠直前の時期に書いた記事をここで はっとこ〜。あ〜ひさしぶりすぎる〜。
 保育士資格取得のための勉強中でもあり、「使命感」&「生産性」時代真っ只中。笑
 三つ子の魂の真意とか、脳の発達とかとかのメモ。
2009-07-15.「お産が世界を変える」
http://d.hatena.ne.jp/halcyon_1983/20090715/1247622503 


さらにさかのぼること、大学の卒論。
 いまだに市町村のパンフレットに配られてるような、
 生活習慣やら、表面的をすべらしたような
 「親学」っていうことじゃなくて(それも大事だけども)


ほんとにもっと「当たり前に」すべきことは。
 すべての命を祝福すること。
 いのちのちからを信じること。
 それを、親だけじゃなくて、周りの人みんなで支えよう。

って、確かそんな主張のはずだった。

個人的には私はやっぱり、「親」になることだけにこだわってた。
 これははっきり言える。
 「おかあさんになりたい」のは、「生産性」のためじゃない。
 ただ、動物としての自分をいろいろに味わってみたかった。試してみたかった。


そして願っていた。
 この地球にうまれるすべてのいのちが祝福されること。

たぶん。これだけのことが言いたかったはずだ。

だけど伝わらなかった。
 なんかいろいろムダにくっつけたり詰め込んだのもよくなかった。
 「女は生む機械」というような発言で当時たたかれた政治家と同じだという教授もいて。
 自分の力のなさにがっかり、悔しい。ちがう!そうじゃない!って叫んでて。
 

もうリアルに証明していくしかない。って。
 この辺は「生産性」だったなあ。


でももう、今となってはね。
 子どもたちの育ちが「生産性」なんてもんを軽々と飛び越えて
 はるかかなたをみせてくれるからもう。


ほんとにどうでもええわ。
 

それくらい、生身のいのちってのは、
 力強くて、
 しなやかで、
 愛に満ちていて、
 美しい。


いまはこっちで涙が出るわ。
 

いのちを箱詰めすんじゃね〜〜〜!

という。。
 この一文にたどり着きたいがための、長文でした。

 って、こちら、いのち箱詰めしてますけど。。

と、読み返したところで、
子宮のノックアリ。OKでました。おやすみなさい。
 

すごく悲しくて、どこかうれしい。〜多言語の世界へ〜子どもに死を伝える

ものすごい久しぶりに長文に挑もうとしている。
 エネルギーもいるし、時間もとるのが難しく、しかも伝わりづらい。爆
 だから、しばらくSNSでは「五行」前後を目安の発信をと思ってきた。


しかしながら、今日はちょっと違う。
 娘一人不在だから?それだけで余力があるということなのだろうか。
 ともかく、いつものごとく手の動くままに、収まりきらなくなった何かを書いてみようと思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

子どもの前では無意識に気を張っている。
 そうでなくても涙腺のよわってくるシーズンだ。
 私にとっての夏休みは、そんな無意識レベルでセンチメンタルな時期なのだ。


近所の商店のおばさまが、買い物後の雑談の中で、
 熱射病でなくなった子のお父さんが、「先生を責めないでほしい。」という
 ようなことをおっしゃったと教えてくれて、
 たまたま一人で買い物に出ていた私は、そこでこみ上げるものがあった。
 結果は悲しい。
 一人の幼い子が亡くなった。
 避けたかった。
 悲しくて残念で、無念。
 しかしゆさぶるものはそれだけじゃなかった。
 現場の方々の慈しみ、いたわり、その子をみんな愛している。
 最も傷ついている人同士の支えあい、やさしさ
 そこかなあ。。まだつかみきれない。
 かなしすぎて、でもどこかうれしくて、涙が出てきた。



優生保護法に基づく強制不妊手術ついて、出生前診断の関連を含めたNHKの特集
 劇団態変の出演もありつつ、
 いのちに優劣などない。
 幸せかどうかは本人しかわからない。
 という、あまりに当たり前のいのちの叫び。

また、豪雨の災害の裏で死刑執行された、正気戻らぬまま真相解明のないまま
 葬られた麻原氏を思いつつ
 障がい者虐殺の歴史、またその背景や実態の考察。
 「悪人」や「人権」を知らぬ人たちが実行したわけではない。
 ごく「ふつうの」人たちが、当事者への「思いやり・善意」と信じた結果の悲劇
 という面をもつことも含め、若い世代に伝えようとするドイツの姿勢。


子宮じゃない。
 珍しく右の卵巣がノックした。
 

からだはうそをつかない。


なんだろう。
 ひどく悲しいけど、どこかうれしい。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昨年の秋からご縁があった、「ヒッポファミリークラブ」に先月入会して
 平均して週に2度ほど、メンバーの集いに参加している。
 そこでは老若男女問わず、手を取りあい、輪になっておどって
 多言語を聞こえるままに「うたい」、音を「みつけ」
 自己紹介や近況、言葉の気づきなどをシェアしあったりする。


そのほかに留学、研修などで日本に在住する海外出身の方々との交流や
 メンバーが世界中のあちらこちらへ行きます。
 ホストします。
 などという話題に事欠かないことがとっても刺激的でワクワクする日々。


先日は、68名という規模で田原の海岸にて
 5か国出身者ごちゃまぜBBQがあり、たくさんの言葉が飛び交っていた。
 昨年くらいから、日本人だけの集まりに圧倒的な物足りなさを感じ始めていて
 やっとまずは身近に多文化多言語多国籍な環境ができたことがうれしい。
 もちろん私はまだ日本語と英語くらいだけど、
 伝わらない環境の愛おしさ!
 分かり合おうとするお互いの心の寄っていく感じがうれしい。
 それが「平和」だと、昨年の幼稚園のPTA主催の松居和氏のお話し会できいたことが
 このヒッポの活動を知ったとき、とてもしっくりきた。
 

もう一つ「老若男女」の中の、若者!!!
 5月にはマレーシアからの留学生の女性の1泊ホームステイのホストを体験し
 また、日本のヒッポのメンバーの中高大学生世代=10〜20代前半っていう、
 超久しぶりな年代(10年前は個別学習塾で幼年〜社会人の方々と接していたな〜)の
 子たちとの交流がとってもパワーをもらえる。
 って、オバサンか!!


いや、永遠の24歳から17歳に引き下げたこの頃だから、
 なんかむしろホームに戻ってきた!っていう気持ちもあるのかもしれない。
 それがみんなとっても素敵な方々で、目がキラキラしていて
 笑顔がかわいくて、親切で。
 気持ちが開いていて、心地いい。


あ〜これが、未来か〜〜!って。思えたらまたなんか泣きそうになった。
 もちろん、ものすごい母体の狭いところの人たちであることはわかってる。
 しいて言えば、恵まれた環境にある人たちだ。
 それにしても、一人でも二人でも、この世に(しかも日本に)こんなにキラキラした若者がいることに
 出会えたことが素直にうれしい。


我が子たちがまだ幼くて、教わることは多くてもリアルな未来を感じきれずにいるなかで
 そのちょっと上の先輩たちが、世界に軽々と飛び出して
 朗らかに育っている姿を目の当りにしたら、なんかね〜
 大丈夫って思えてる。


そして、みるみる吸収していく我が家の女子たちの変化に追いつけない。笑
 目覚めて「オラ〜!」 あ、、オラ〜!
 もうすぐ2歳になる、ただでさえ「なに〜?」ブームの娘の発言が
 日本語じゃないっていうトラップ。笑
 急に歌い踊りだす曲がフランス語らしき。お気に入りはインドネシアやマレーシアの曲だったり。
 24時間いろんな言葉の垣根を越えて、ただただ言葉・音の海にダイブしています。

ことばは、からだとともに。
 全身で多様さを吸収していくんだなあ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

長男の質問は鋭い。
 何に鋭いかっていうと、長女とはまた違う予知能力というのか、
 テレパシーのように、私の心の引っ掛かり、ヒントをポンと投げてくる。


「年を気にしないで 生きてていいんだよね。」


(このくだりは育詩として別途ブログに転載予定。。)

まずは、なぜそれを問うのかと聞く。「それは年をとっても、っていうこと?」
 今回はとくに意味はなく、思いついたらしい。まさにテレパシー系の質問。

 「生きてたらいいさ。」

一言かえす。
 この時私はベッドでかなりまったり休憩モードだったけど、
 このチャンスは逃せないと、わさわさしだして、切り出す。


 病気などであまりに苦しみが強い場合など、
 安楽死が認められている国もあること
 尊厳死という考え方があること
 中には自死するひともいること。


小二の彼はふ〜ん。と聞く。
 
あとは、自分の思いを伝える。
 自死はもったいない。残された人が悲しすぎる。

 もし、そうしたいほど苦しかったり、悩んだりしたら、
 お母さんやお父さんにいってほしい。

年長の娘もなんとなくうなずく。

私 「で、いま生きてて楽しい?元気?」

息子「…口内炎

私 「口内炎では、死なないでよ。笑」



死をつたえること、性をつたえること、いのちを伝えること。
 小さい人に伝えるコツはおんなじ。

 逃げずに。問いのわけを聞く。
 チャンスがあればすかさず繰り返し(質問は宝。質問してくれたことに感謝する。)
 科学的な事実を淡々と。
 その話をするときのマナー(や知っておいてほしい個人的な意見、願い)も一緒に 
 ユーモアを大切に

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年長の娘は、先週くらいから、私の父の死因を気にしている。
 解剖はしなかった。
 半年ほどせきこんで苦しそうにしていて、最終的には肺塞栓。だろうと。


それはそれとしても、もしかしたら最後の最後は熱中症とか、そういう感じだったのかも。
 って、もうどっちでもいいんだけどね。今更。
 真夏日の昼に、倉庫の扉の具合をかんなで削って直していて。
 おばあちゃんは、父が死んだあとその削りかすを取っておいていた。
 母も私も気になっていたものだ。


今となってはもうなにもかも、よいのだ。
 失ったものの何倍も素晴らしく私の人生は動いてる。
 それでよい。


それでも、やっぱり体のどこかで、この季節を感じているから、、
 娘の言う通り、ちゃんと母を呼ぶ日と、里帰りの日をつくった。

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さて、
 これは実際どう動くかわからないけれど、
 人の子、犬の子、猫の子、、どんな命でもいい。
 いろんな形、方法があるからそれはまた選択していくとして。。

この頃心動くのは 里親 という言葉です。
 もう、いまだって実生活いっぱいいっぱい感半端ないんやけど。。これ以上どうすんの。。笑
 一方、精神的にはよっぽど平たくなってきてる。
 血のつながりなんて、こだわるものじゃないだろ。って。
 そう言う風に生きてる自分をみてみたい。

目下、普通の家事を分担してでもなんでも、
 逃げずに無心に当たり前に。
 日々暮らしを整えるのが下積み修行となるかね。
 

手放したら手放した分だけ、ど〜んときます。
 を信じて断捨離着手!土用入りしたし。

からの、、出版。ですわ。これは年内なのかどうなんか。おいおい。


以上久々の近況でした。
 
会う人会う人に、

 会うたびに軽くなってる。一皮むけてる。
 幸せオーラすごい感じる。
 会うとすごい「もらえる」

と言ってもらってます。
 もう、それ自体が私のしごとなんやね〜。

脱皮し続けて、どんだけ蝶 中から出てくんねん。みたいな。
 あ、ニックネーム「蝶」的なことばさがしてみよ〜かな。。ぶつぶつ。
   

日ごとのしあわせレシピ 2018/2/8〜ほぼ一日一投稿→インスタ&FB   育詩→ブログ「イクジカン」&FB

インスタグラムはじめてます。

https://www.instagram.com/halcyon.kei/

FB
https://www.facebook.com/kei.suzuki.9406


こちらでチェックを。


ちなみに、五行詩のほか
いのちのはなし、性の話に関連するエピソードを「育詩」というかたちでシェアしています。

別途ブログ
「イクジカン」をご覧ください。

http://ikuji-kan.seesaa.net/

未来が先に、ある・じゃんけん・ありがとう 祝80句目!

2018/3/9
五行詩 未来が先に、ある

信州の山々に憧れて 夫を確信する
頭から離れない名は 人生を変える友人
惚れて買っても履かない靴に おいついてから足をあずける
スマホ留学に投資して ハワイに飛ぶ
知らぬ間に あるべき未来に運ばれている


2018/3/15
五行詩 じゃんけん
月が明るいと 流れ星が負け
雲は 月を隠し
流れ星は 雲を切り裂く
息子のじゃんけんの美しい 宇宙 広がり
新月には また違う結末が きっと ある



五行詩 ありがとう
家事が好きな娘は
仕事を頼んでくれてありがとう という。
「お母さんは助かってありがとう
私はよろこんでくれてありがとうだね💕」
サラッと ニコッと。参りました。
ーーーーーーー
妹が 姉に安心を見出してきた。
食事や絵本でともに過ごせる頼もしさ。
5歳すぎて、すばらしさどんどん開花の彼女。

母が諸々手放しぞこねて発狂の夕方も😅
子どもらは大爆笑で またありがたし。