わたしにとっての「生産性」からの脱却・いのちを箱詰めすんじゃね〜!

SNSでのシェアで、岩崎航さんという詩人を初めて知りました。

 そして、一つ前の記事に同じく、まっとうに、いのちの叫びをされており
 また居ても立っても居られない気持ちでPCの前にいる。


これから書くのは、いまの自分を整理するためのものになると思う。
 そして結局オヤジの話かな。笑
 めちゃくちゃだけど、今回は徹夜は避けたいので、推敲せずにアップします。
 
「条件をつけられる命なんてない 相模原事件に通じる杉田議員の発言
筋ジストロフィーで生活の全てに介助が必要な詩人、岩崎航さんが、杉田水脈議員の寄稿を読んで真っ向から対抗します。」 ↓

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/iwasaki-vs-sugitauematsu?utm_term=.ic894Ppaaz#.xjbGoMDrrW

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詩というのは、生きる喜び、いのちの輝きをうたうのだと、
 あらゆる表現活動に当てはまるのだと思うけれど、
 そのようなことを、書いていた詩人がいた。
 私も、その一人として、書き続けていくんだと思う。


私はきづくと、性教育にたずさわっていて、
 いつもいうのは、「性教育は人権教育なのだ」と。
 この一言で相手をウルウルさせたこともある。
 よくわからないけど、ある一言でウルウルさせちゃうのも父の血なのかもしれない。
 何度かそんなときがあった。
 非常勤の教師をしていたこともあった父の、授業を一度受けてみたかった。


実生活で、子どもにはひどい接し方をしてるとおもうけど、
 いのちのはなしからは絶対逃げない。
 これだけは外していない。つもりだ。
 一歩も十歩もお互いに踏み込んで、いのちの本音を語り合う
 それは私にとっての楽しみでもあるから。
 子育てのご褒美のようなとき、会話だから。
 

父はずっと家にいて、本を読んで、1日4時間くらい仕事して
 母と並んで、コーヒー飲んで、
 手料理食べて、しあわせだと堂々と笑って。
 それは彼の生きざまだった。
 ただそこにいるだけで、
 「生産性」のうすさ?にハラハライライラしつつも。笑
 家族みんながだまってほっとしてた。
 いなくなったら、あからさまによくわかる。


学生時代は当時の朝鮮文化研究会のサークル活動で
 差別問題に取り組みながら、母と出会ったりしてたんだ。
 

母もその関連で、女性の人権について随分勉強に誘われたらしい。
 私がセクシャリティにかかわることに敏感に育ったのも
 単なる男好きとか、女も好きとか、そういう素質もあるんだろうけど
 どちらかというと、私は動物としてのヒトっていう存在に興味がある。


私の関心は、彼や彼女のそれと違うから、
 もっと世界をこの目で見たいし、肌で感じて
 たくさんの人と出会いたい。


自然界の多様性の尊さ、どんな存在も、この地球上での調和の一部になっている。
 ヒトも、個々の存在そのものが、
 ただそこにあるだけで
 他の存在につながっている。
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私自身つい最近まで「生産性」に躍起になっていた。
 「生産性」のある自分でいたかった。
 雇われしごとが続かないまま、心を病んでやめて、
 ただ純粋に望んでいた「動物として」体験したかったお産
 子どもに恵まれつつも、自分や過去やに引っ張られて
 目の前の今の輝きに気づけない日々もあった。


じっとしていられない。
 子どもや家すら満足にみられない、そのくせ有り余る自分が
 「役に立ち」たくてはじめたこと。
 いくら感謝されても、どんなに喜ばれても、自分は喜ばない。
 足りない足りない。


自分でじぶんを「生産性」で振り回してた。
 本当にほめられたかった父はもういないのに。


4度目のお産、日帰り手術、、圧倒的に手が足りない。
 助けてもらえることすら知らなかった。
 動けなくなってしみじみと、
 私が世界に、家族に、友人たちに生かされている
 愛されている


動けなくても、何もできなくても
 「ここに生きていていい」
 

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私と夫の出会いでもある、タイとビルマの国境へのスタディツアー
 タイのエイズや売買春問題や当時民主化前のビルマからの難民の人たち
 命がけの経験をしている人たちとのふれあいの旅が
 最近違う角度で思い返される。
 

14年前、住処を追われた少数民族の人たちに会った。
 母語よりもまず生き残るために、英語、ビルマ語、タイ語を使う必要がある。
 私は何よりもこのことを、帰宅して真っ先に父母に報告して泣き崩れたのだった。
 いろんな国の人が暮らしているとはいえ、公用語は一つ。
 単一言語の国では想像できない感覚だった。


ほんとうに親身に「英語は話せないといけないぞ!」と諭してくれたおじさんが忘れられない。
 忘れられなくて、たぶん去年は英会話(スマホ留学)に踏み出した。
 そして、多言語へ。
 言語に出会う旅でもあった。言語を超える旅でもあった。


年に7度も村ごと転々と引っ越ししていた人たちもいた。
 今思い返せば、そんな中でも、女の子たちはお母さんたちに 
 伝統的な刺繍を習って、針を動かしていて
 民族につたわる楽器や音楽を残していて
 子どもたちは水浴びをしていて
 笑いあっていて


楽しいこと、したいことをしたらいい。


っていう意味が全然分からなかった。
 何かのために何かをしていたことの方がよっぽど多かった。


やっとやっと去年くらいからつかめてきたのだ。


ただ生きて、
「したい」とも思わないほど、
気づけばしてるようなことだけ、そのまましてたらいい。


ただ、私がそこにいればいい。


障害とよばれるものや、性的なこと、目立つ個性だけじゃない。
 どれだけその「生産性」というものに、あるがままのいのちが翻弄されてきたか。


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私は人に会いたい。
 三度の飯より、人に会いたい。
 

その多様な「人となり」、一人一人の持つ物語のなかを泳いでいたい。



 ひととは、なにをして人となるか。
 人たるゆえんは。


そんな問いを持ち続けていた、父の血が私に生きてる。
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彼はヒトの長所として、理性とやさしさを上げていた。


第一子妊娠直前の時期に書いた記事をここで はっとこ〜。あ〜ひさしぶりすぎる〜。
 保育士資格取得のための勉強中でもあり、「使命感」&「生産性」時代真っ只中。笑
 三つ子の魂の真意とか、脳の発達とかとかのメモ。
2009-07-15.「お産が世界を変える」
http://d.hatena.ne.jp/halcyon_1983/20090715/1247622503 


さらにさかのぼること、大学の卒論。
 いまだに市町村のパンフレットに配られてるような、
 生活習慣やら、表面的をすべらしたような
 「親学」っていうことじゃなくて(それも大事だけども)


ほんとにもっと「当たり前に」すべきことは。
 すべての命を祝福すること。
 いのちのちからを信じること。
 それを、親だけじゃなくて、周りの人みんなで支えよう。

って、確かそんな主張のはずだった。

個人的には私はやっぱり、「親」になることだけにこだわってた。
 これははっきり言える。
 「おかあさんになりたい」のは、「生産性」のためじゃない。
 ただ、動物としての自分をいろいろに味わってみたかった。試してみたかった。


そして願っていた。
 この地球にうまれるすべてのいのちが祝福されること。

たぶん。これだけのことが言いたかったはずだ。

だけど伝わらなかった。
 なんかいろいろムダにくっつけたり詰め込んだのもよくなかった。
 「女は生む機械」というような発言で当時たたかれた政治家と同じだという教授もいて。
 自分の力のなさにがっかり、悔しい。ちがう!そうじゃない!って叫んでて。
 

もうリアルに証明していくしかない。って。
 この辺は「生産性」だったなあ。


でももう、今となってはね。
 子どもたちの育ちが「生産性」なんてもんを軽々と飛び越えて
 はるかかなたをみせてくれるからもう。


ほんとにどうでもええわ。
 

それくらい、生身のいのちってのは、
 力強くて、
 しなやかで、
 愛に満ちていて、
 美しい。


いまはこっちで涙が出るわ。
 

いのちを箱詰めすんじゃね〜〜〜!

という。。
 この一文にたどり着きたいがための、長文でした。

 って、こちら、いのち箱詰めしてますけど。。

と、読み返したところで、
子宮のノックアリ。OKでました。おやすみなさい。