大転換期・人生丸ごとネタ帳〜執筆に専念〜私という生き物の価値は「命へのくそまじめさ」

ブログを引っ越すかとも考えましたが、自分にこれ以上の負担を強いないよう。
 また、今までの自分の取り組みや努力の延長に今溢れるように感じられる
 心の平安と、自分のすべきことが見えてきたというギフトにたどり着けた
 ということを忘れないようにこのブログとFBページとに集約していきたいと思います。
 とにかく決めつけずにぼんやりやっていきます。
 ここまで書くのに15分かかってる。爆
 こういう読み手への配慮的な導入苦手だわ。笑

FBページ
https://www.facebook.com/kei.suzuki.9406

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今までのように長い文を書くことが、自分にとっての負担が大きいことが分かりました。
 ので、あまり推敲せずにかきます。
 が、FBやインスタで更新しているような短い発信の裏付けとして
 近況を少しずつ断片的にですが、表明していこうと思います。

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2018年の夏休みの終わり
 精神的に、死が脳裏を横切るほどの落ち込みがありました。
 これは10年まえの過労その他のストレスでうつになったときと同じような感覚でした。


この経験で、たとえば
 自分にとって「時間を守る」ということが死ぬほどのストレス
 になっていることに気づきました。
 そのほかにも思い当たることが多々あり、はじめADHDを疑って
 専門家の力を借りることを決めました。

これは、私だけの問題ではなく、「思い当たる」ことの中には、
 親や祖母、あるいは子どもたちの様子もふくんでおり
 もし何か特性があるのなら、理解したうえで対応したいと考えたからです。


わたしにとって、安易な受診ではなく
 特にこの数年間、自分にとって最も触れたくないような
 思い出したくないような、悲しすぎるような
 いろんな感情をきちんと掘り起こして、感じつくして、別れを告げ。
 あるいは
 我慢を強いすぎていた生活を解放し、
 生まれて初めて、本当に自分がしたいことに正直に生きてみた。
 そんな取り組みの末で手に入れた「幸せなくらし」を手に入れたからこそ。


それでものこってしまう「圧倒的な疲労感」
 それに伴う「激しい苛立ち」に一番大事にしたい家族をまきこんでいることに
 絶望感を感じたのです。


書き出すとつい長くなりますが。汗
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精神科初診で、
 発達障害のテストを受けたいこと、
 結果がどうであれ、今抱えるさまざまな暮らしづらさ、生きづらさを
 和らげる方法を探る。
 という目的をくんでくださり、次の受診で心理検査を受けました。


その結果が今月に入って出ました。
 ざっくり言えば、
 ・能力の凸凹が大きい。
 ・しいて言えばアスペルガー症候群の傾向が少し、という程度


能力の凸凹で、私の場合特化していたのは、「知覚統合」でした。
 「非言語性の推理、目で見た情報の統合」つまり、
 「目から入った情報に敏感すぎる。」


ということでした。(他にも強く出た特性がありますがそれもおいおい)

 そのために、内面的な作業や、何かしようという意思を持ったことに対して
 感覚的に邪魔が入りやすく、
 それを排除しながら「集中」しようとするため
 大変なエネルギーを使っている。
 

…。
という状態で35年間生きてきた。ということでした。






もう、なんか、、もう、、心底ほっとしました。
 なにより、家族に自分の「つかれやすさ」に対しての説明ができて
 対処や工夫の糸口が見えたこと。


これから小出しで、幼少期からどんな生活をしていたか、
 そしてこの結果を受けてからも、引き続き自分についての発見を山ほど
 体感しながら、気づきながら生きているのかを
 自分のためにも、それを目にしてもしかしたら楽になるかもしれない人のために
 書き続けたいと思います。


結果を受けて
 私の武器は「高いIQ」じゃなくて、
 それを駆使して、その時々を精いっぱいの実行力と情熱で突破し
 自分を成長させ続けることができる
 命に対してのくそまじめさだと。
 

能力的に「できそうなのにできない」自分を責め続けたのをやめて
 その期待に応えられないことにも傷つくことなく
 堂々とありのままの自分に自信を持つことが、やっとできました。


私の「社会的価値」であり、とらわれていたような「生産性」は
 なにか一つのことをやり遂げることではない
 私がわたしを生き切って、感じ切って、いのちとして自ら成長し続ける姿を
 見せ続けることだと


確信しています。
 からだはずっと知っていて、
 今までとそんなに変わらない宣言かもしれないけど、
 内面的に、ものすごい後押しがあるのを感じます。

生きるぜ、私。

45分ふぃにっしゅ。