「お姉ちゃんになる」 突然の卒乳〜妊娠〜その時はかならず来る
年末。PCが不調だし、もうラストチャンスなのかもしれないので、
それから私の目も体もPCぎらいになっているので手短にこれだけ書いておきます。
12/4 長女の卒乳記念日となりました。
口だけ女の娘がこの前日だけは、
「おねえちゃんになる。まんま(おっぱい)いらない。」
と妙に神妙な面持ちで話し、実際にお風呂でも触れもしませんでした。
そこでその日の夜と、4日の朝の授乳を最後に終わりにすることに。
おっぱいケアの助産師さんのところで出し切ってもらい、そこにいた生まれたての女の子を抱かせてもらいました。
娘のことを話していたところ、秋の流産のできごとが彼女の中にやっと落ちたのではないかということ。
なるほど。
確かに2か月の間、まだ私のおなかに赤ちゃんがいるようなことをいったりしていて
お庭に埋めたよね、というと「あ、そうだった。」と思い出すような
そういうことがたびたびありました。
ところが、あとで考えてみれば、そういわなくなったなあと思ったようなタイミングで
「お姉ちゃんになる」宣言があったのです。
その後、卒乳初日の夜だけは2度ほど大泣きしましたが、
翌日には「触るだけ」
その次には「服の上から触るだけ」
と自分でハードルを上げていき、すんなり寝ました。
あ〜、待ってよかった。
ときはちゃんとやってくるんだと。
来月の3歳の誕生日に断乳しようという話をちょこちょこしていたのですが、
それを待たずにこのような展開になったこと、それだけでも感動していました。
少しすると、「おなかのあかちゃん」という絵を1度だけ書きました。(右下)
埋めた赤ちゃんのことがやっぱりやっと腑に落ちたんだろうと、その時は思ってました。
しかし、そんなこんなしてるうちに、どうやら今度は私の方がそういえば生理がないぞと。
流産後間もないし、寒いし、おっぱいもやめたりして整わないのかなくらいに思ってました。
むしろ、ダンスのWSをはしごで浮かれてましたから、来年初めくらいまでは
もう少しガツガツ行きたいと。。
まったく次の子に執着していませんでした。
その一方で、「サロン月草復帰」を問われると2月くらいかな〜。と答えはしてみるものの
あまり実感がなく。
これは今年の秋=つわり、流産と重なる時期の予定がまったく立てられなかったのと
同じような感覚がありました。
「予定を立てても、その通りにはできない」ことをなんとなくわかってた。
で、なんだかあっという間に冬休みに入ったと思ったら、どっかから
「クリスマスプレゼント」
と聞こえちゃったんです。
これでやっと、あぁあもしかして、って思いが出てきました。
そういえば最後のおっぱいを絞ってもらうのに「飲まずの左乳」からなぜかサラサラおっぱいが出てるといわれたのも、あれっと思ってました。
ほんと、すべて今思えば。。だらけ。
24日、翌朝待たずに夜検査してみると、はっきりと陽性。
子どもたちは知っていたといい(兄は希望的観測だったと思う。本当にいたと伝えたらやったー!と喜んでた。)
娘に、「赤ちゃんがきたから、おっぱいやめたの?」というとなぜか照れ笑い。笑
重ねて驚くとともに、なんかも〜本当にこどもってすげ〜な〜!!と。。笑うしかありません。
先日吉村医院にて、正常妊娠を確認しました。
まだ心拍確認は年明けなので、何とも言えません。
一つ言えるのは、前回ほどの不安はない、ということです。
過去ブログ「死を受容する〜妊娠報告 8/30」
http://d.hatena.ne.jp/halcyon_1983/20150827/1440603714
もし、無事育ってくれるなら残暑?
春夏秋冬、それぞれの時期にお産を体験させてもらえる。
母や祖母たちの軌跡をたどれるような、わくわくした気持ちでいます。
確認後、やっとつわりのようなものを自覚するようになってきました。
気もたっています。笑
まだ弱いので、年末年始の予定は大きく変えませんが、
役に立たぬ嫁として、のんびり過ごさせていただこうかともくろんでいます。笑
大掃除も夫ががんばってくれました。感謝。
まあ、私の大仕事は10月の在庫大放出で終わってたのかもと。
というわけで、今年は春以降たくさんの命が私の体を通り抜けていった
そんな年になりました。
生理が来ても来なくても名前がやって来るので、卵子に名をつけているようなこともありました。
あるいは、そういう名の誰かを間もなく知ることになったりして、紛らわしい予知能力です。。
子どもたちはおなかの子を「きなちゃん」(きなこ、という子をままごとで想定してた)と呼ぶことにしているようです。
私は「あゆ」と呼んでいます。(字もありますが、秘密に。)
ときは必ず来る。
私は物持ちがいいといわれることがありますが、
入手してから、本当にそれが自分にしっくりくるまで時間がかかる
ということも関係していると思います。
これはいい、と買った服や靴が、数年後、10年後やっと日々活躍する代物になることも。
背伸びして買った食器が惜しげなく使えるようになる瞬間も。
何をするにも、何かと出会うにも、まったくタイミング外すことなくすべてがパーフェクトに訪れる。
いいことも悪いと感じることも、すべてがチャンスになる。
まもなく諸事情によりPCのアドレスを変更します。
それも、これからの自分に本当に必要なものとつながるように作用すると思います。
過去はいらない。
髪に執着しなくなったように、たくさんの過去をおいて来年に向かいたいと思います。
先日さらにさっぱり。
新城の美容室Luzさんにて、小林憲明さんの「ダキシメルオモイ」に捧げるおどりを少し披露しました。
からだのおしゃべりは、言葉だけでは収まらない。
もっと体のおしゃべりも自由にできるようになりたい。
未来のカードはずばり 「yes」 そのままいけ!と。
ひとつ言っておくと、頭チョ〜さむい!!!!!!
髪は女の命。
まちがいない。
体冷やしちゃだめよっていう、これも一つの知恵なのだと深く思い知らされています。
生まれて初めて、家で帽子かぶってます。笑
それから、今年は当然のごとく年賀状の用意をしておりません。
年始早々のご無礼をお許しください。
今年の目標「人間をぬぎすてる。」
過去ブログ「今年の目標改め「人間」をぬぎすてる 親という繭からの脱皮」
http://d.hatena.ne.jp/halcyon_1983/201501
しばらく続くのではないかと思っています。
まだまだです。
動物の私を感じて苦しくなることもあるけれど、しっかりあじわって表現していきたいと思います。