自分の言葉が自分を癒す

ちょっと太りました。
 書けてないもんな〜。
 五行詩は小出しにしてるけれど、がっと思いを書きたいときもやっぱりある。
 それが満月過ぎ、生理の後っていうタイミングなんだな。
 新月あたりからの内面の乱れ方、落ち方がなかなかのもので
 間食ばっかりして体が冷えているから余計なんだろうけど、
 自分の中の女にふりまわされっぱなしで精いっぱいの日々でした。 
 なかなかのもんだ。
 産後、割とコンスタントに次々取り組めていたのは、こういう波が穏やかだったからなのかもしれない。



そんなことはどうでもいいけどね。


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雨続きもあり、TVつけることのハードルが先週から下がっていて
 昨晩ひさしぶりっていうか、ほとんどはじめてTVタックルをみた。
 少年法の適応を18歳未満に引き下げるかどうかっていう議論。



いろいろ感じたことがあり、TVという一方的な情報の見せつけにもやもやしつつ
 不勉強を晒すのも覚悟して
 しいてひとつだけ言えば、政治家の傲慢というか勘違いが垣間見えた。



憲法教育基本法少年法…改正、改悪…
 そもそも、現実に生きる人のことなんかはどうでもよくて
 ただアメリカの都合よくいじくりたいだけなんだろうけれど



もし本当に、まっとうに「改正」しようとするなら、
 原法が徹底的にまもられ実行されているかどうかの吟味が何よりも先のはずだ。
 いまある文言に対して、最大限環境や人財や予算や議論や可能な限り努力がなされているのか。



現状に問題があるとき、法に問題があるのではなくて、
 法に沿った何かがなされていないことの方がよっぽど多いのではないか。
 その努力を怠り、あるいはハナからその理念を無視し、法を無力化しておきながら
 自分たちの都合よく新たなものを設定しようなど、吐き気がする。
 そんな中身のないものに、また多くの予算がつき、たくさんの人が動き
 それに慣れるまでに年月をかけたりするのだ。



原発という核を保有
 自衛隊という軍を持ち
  基地も血税も提供し、各国の紛争に加担し
   個別的自衛権を行使しきらず、
    あるいは平和的解決のため他国の協力を得る努力も見えず



いまの日本では何もできないから、憲法を変えるだと。
 なにいってるんだ。



いままでも、身近にも、上っ面の決まりごとに従ってやり過ごすことばかりのようだったけれど、
 中身がないようなものにいわれたことなんて、聞かなくていい。
 逃げていい。 
 最後は自分で決めるんだ。

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7/10 サロン月草は、家族の死と向き合う というテーマで設定したけれど
 さらに広くとらえるなら、それは死別だけでなく
 あらゆる「喪失・悲しみ」と向き合うことだ。


こどもなら、大事にしているモノとの別れなんかも含まれる。


大人も
ペットの死や、移住に伴う友人との別れも含まれる。


日々の生活に追われて、置き去りにしている悲しみが、
 思わぬところで、拒絶反応がおきたり、感情が乱れたりして生きづらさをうんでいる。


その喪失感や悲しみは消すことはできないかもしれない。
 でも取り組むことで、ともに生き、付き合うことはできるかもしれない。



準備のため本を読んでいて、悲しみに取り組む過程の中で、
 私自身「前に進む」段階に今年やっと入ってきたのかな。
 と思う。

 「人を愛し、人生を楽しむというリスクを負えるようになる」
 「悲しみを忘れるのではなく、ふたたび人生に参加するための準備にはいる」

そしてこれまで、サロン月草にお越しいただいた方とのかかわりの中でも強く感じたのは、



 自分の言葉こそ、自分を癒す最大のツール ということ。 



たとえばFBやネットやいろんなところで飛び込んでくる人の言葉を1000読むより、
 自分の言葉、文を一つ振り返り、詩を一つ復唱する方ががよっぽど浄化されることに気づきました。



今まで「話す=手放す」ことを強調してきましたが
 

それ以上に「自分の口からこんな言葉が出てきた。」眠っていた体験や感情の発見。
 そしてそれがどんなことでも、受け入れられる場がある。という安堵。


それによって、自分自身に気づき、ゆるし、愛し、
 目の前のことや本当にしたいことに向かっていけるきっかけになればと祈っています。



やはり、私は言葉と縁があるようなので、
 口で話す サロン月草 と、
 文字でつづる 詩のWS をやってみたいなあと考え中です。



それから、10年ほど前からの異分野のアツイ人が集う場ハルシオンをはじめたり
 学習塾でつとめてたころからボンヤリ考えていたのは

 子どものハローワークツアー。


やりたいな。
 やりたいな、って思うと、それをやってる人を見つけちゃうものだから、
 今回も誰かやってる人が見つかったら、これも私の仕事じゃないのかもしれないけど。。
 


自分が大好きなこと、熱中できることを仕事にしている大人がいるってこと。
 もちろん実際に興味のある職、現場で働く人に会いに行ってもいいけれど、
 興味のない分野に携わる大人でも、大事なのはその人がイキイキ働いているか。
 子どもたちにとってあらゆる職場はブラックボックス
 見たことないことは想像しにくく、未来の自分をイメージすることもしにくい。
 モチベーションって、生身の人からもらうことが多いよね。
 そして、子どもたちも自分の「ダイスキ」に素直に耳を澄ますことができるように。



というわけで、娘が昼寝から起きました〜。
 夜更かしがもっとも心の平和を乱すのを実感し続けた分、
 代わりのこの時間を確保するのにはタイミングとかいろいろあるわけで
 それも自分を縛りすぎずに、流れに任せて書いていこうと思います。。

ばーい。