2016.7 五行詩 無題 ・マタニティブルー
7月30日 ·
マタニティーブルー 五行詩
体はもう授乳ペース
胎動とリンクして寝起きしたい
こんなに通じあってるのに
対面が近づくワクワクの絶頂の筈なのに
…私を、消してください。
臨月に入りました。
お産に向けて、出し切るものがないか。今回の出産を最後とも思っているので、出し残しがないか、やり残しはないかと来るもの湧き出るものに引き続き敏感に接しています。
神奈川のumiの家のオーナー、訪れたいですがまだ叶わず。リンクよりもコメントのシェアをさせていただくのは、まさにここ数日間、瞬く間のどん底とどうやら盛り返せるかもしれないという平常心との揺れ幅をそのままに表してくださっているからです。
どうしても「怒る私」を手放したかった。
睡眠リズムの変化、染み付いてしまっている自分後回しの生活、食べるものの影響などから来る心身の余裕のなさに加えて、
最近やっと、この6年ないし娘が生まれた1年目を中心にした2人の育児期間そのものが自分の中で大きなトラウマになっているのではないかと自覚するようになり
目の前にこどもがいるだけで極度に気を張り緊張する自分をそれでもどうにもできなかった。
そして毎日こどもたちからほとんど唯一落ち着く寝床で「怒らないで」と懇願され、子どもたちのかかえるストレスをひしひしと感じて自己嫌悪の渦の中におり、
いつまでも子どもたちが小さい時のままなように必死すぎる自分を好きになれず追い詰め、結局泣く代わりのはけ口となる怒鳴り声の向こうには子どもたちがいるっていう。。しんどい悪循環が長く続いてきました。
日々子どもたちが口にする「おこらないで」ということに、どうにも出口が見えずこたえられる気がしないことにも追い込まれて限界がきていたとき
一番感謝したくて&一番言いたいことがあると思われるパートナーからも不意にトドメをさされ。
またやっと泣けました。
そのままさめざめと子どもたちの気持ちに寄り添う視点を取り戻しつつ、家族が自分と一緒にいてつらいならもう消えてしまいたい。失踪でもなんでも、自分が家にいない方がみんながニコニコできる。どうしてこんな状態で3人の子を望んだんだろう。また悪夢がはじまる。赤ちゃんに一つお願いをするなら私を殺してほしい。。みたいな夜をのりきって。
ちなみにこの大揺れの夜の胎動の激しさと様子の違いぶりはハンパなく、繋がってるってことも再確認させられました。
その後の2日間まったく無駄吠えがないのはタイミングよく人に会う機会があったことも大きいけれど、
「殺してください」と朝鏡に向かっていうっていうおまじないのようなことが、少なくとも今の自分にはとてもしっくりきているなと思う。
今まで以上に「今日死ぬなら」怒ったお母さんでいたくないという気持ちになれるのかもしれない。
少し前に、何を手放したらいい?と自分に問うと、
久しぶりにはっきりと即答。
全部。
どこにむかうのかわからないけど、
無事にお産まで登りきれるかもこれからだけど、産後はまた違う自分になってるんだと思います。
7月11日 ·
五行詩 無題
何をそんなにおびえているの?
命っていうものは
もっとどうしようもなく
きらきらしてるのに。
ちからづよいものなのに。
リアルに眠れぬ夜になっちゃってます。やばい。サーフィンしては、あちこちの記事に思いがけず泣いたりしています。うぬぬ。
この地この時を選んできた自分も、子どもたちにも信頼を。
久しぶりにあけたTweetで、ネイティヴアメリカンのことばを目にした。
「愛は死ぬ時にあとに残していけるものなんだ。それくらい力づよいものなんだよ。」と。
ずいぶん前にきいた、
その人を愛したものより、その人が愛したものの心に生き続けるということがリンクして、
苦しいほどに受け取った愛というものを渡していけたらいい。とまた泣いた。
泣くことも少しは取り戻してきたのかもしれない。
息子はいい夢をたくさんみるようになったと言って、その一つが「私が優しくなった夢」苦笑。夢かあ。。
私が怒ってると、お腹の子が怒られてると思うよ。息子。
もっと優しくなろうねー。なでなで。娘
という昨晩の添い寝でした。
そろそろ本気で寝ますm(__)mおやすみなさい。
7月10日 ·
今日選挙にいきます。
立谷秀清さんの「東北の長に訊く。あの日のこと、いまのこと」の中で、
行政の長の判断基準の最大のものというのは「すごく不幸にしない」ということです。
ほんとに不幸なひとを作らないということ。
多分政党や候補者によって「不幸」の定義が違うんだろう。そのイメージがずれてる。
自分のイメージと近い人をえらびたいと思っています。
リンク。
生きる尊厳、当たり前にあるはずの人権ことごとくふみにじられても、
「人を助けたい」とおっしゃる。
久しぶりにどうしようもなく涙がでました。洗濯機まわしつつ1人の朝。
どうころんでも、時代を味わう覚悟はある。たとえどんな悲劇につながっても。それでも、どうありたいかを示す努力はしておきたい。
http://www.shueisha-int.co.jp/amamiya/01.html
アルバム「あなたを迎えるまで。」
7月7日 ·
https://www.facebook.com/kei.suzuki.9406/media_set?set=a.1012595302190122.1073741844.100003189857059&type=3
吉村医院の両親学級。
生きるとは、と問われて「遊ぶ。味わう。」と湧いた。ラストスパート。お産本番までに9合目まで登っておけるか。引き続き、ただただ自分と向き合うのです。下山のおっぱい合宿の前の充電も、夏休み入る前までが勝負!笑 キャプション付き。
7月6日 (7月末検査結果から、結局おたふくかぜではなかった。汗。)
6月末、2人が一週間ちがいでおたふくかぜで幼稚園をやすんでいました。経過は二人とも極めて軽かったのですが、(熱なし、腫れなし)四六時中一緒に過ごす気の抜けない日々が続き、火曜から再び手にした1人で過ごす日中というのに気が抜けてどっと疲れが押し寄せてました。今日あたり少し落ちついたように思います。
シェア記事は、見守るしかできない中でも経過の意味や留意することなど参考にさせてもらったものです。
思えばちょうど潜伏期間のなんとなくだるそうな時、寝る前に背中をゆらしていると腰の凝りがあり、疲れてるんだなとは感じてました。
野口整体に限らず、文字通り「手当」。手を当ててあげることの威力を実感するこのごろです。それは自分に対してもです。
子どものメンテナンスに気を配るように、自分にも手をかけようと、風呂上り、子どもより先に歯磨きをしはじめました^^; そういうレベル。まずは自分を満たそう。