すべてが、命にかかわるしごとしてる。ずっと卒論の続き。
昨日久しぶりに上の子たちがフルタイムで登校、登園していたので
PC仕事ができました。
からだもその感覚を取り戻して、書いてるときは憑依され。
書き切った後はものすごく達成感、血が下りる感じ。
と共に、ぐったりきます。
子どもたちが帰ってきてからの余裕度的は、、う〜ん。
けっこういっぱいいっぱいでした。苦笑
子どもたちも新生活で、私に無意識にからだの異常や態度で甘えを訴えます。
みんな必死!!!なう。
昨日は書き終えた後にいったんものすごく体が冷え切ってしまい、
あれ、書いてると熱くなるはずなのにって思ってたら、
「湯冷め」
って、ぼそっと体が教えてくれました。笑
そんな「書く私」です。
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「切り口は何であれ、すべての人が、命にかかわるしごとしてる」
って、ちょっと前に降りてきたので書いておきます。
…以上。って話ですよ。わかりきってる。
昔、医者と教職にはつかない。
人生を直接左右する、こわいしごとだから。
って思ってた時期がありました。
でも結局、惹かれる分野ではあるんだが。
ものづくりの学部に進んで、
川崎和男先生の3つのち=「いのち、きもち、かたち」にこだわる
って話はシンプルでときどき思い出す。
歌で心が癒され、魂がよろこぶのも感じてる。
命をつなぐ男女。
銃をかまえる。
オーロラの研究が軍事資金で支えられてる。
宿った命をジャッジする。
憲法をねじ伏せる政治家。
みんな命にかかわってる。
いつでも最後に問われる倫理観。
親として子どもに伝えられる、期待する唯一の価値観。
ずっとずっと、卒論と卒制の締め切りに追われる夢を定期的に見続けています。笑
いっつもひやひやして目覚めて、あ〜私もう卒業してるし、子どもいるし…。
みたいに一息ついておきあがる。
「親学」っていう言葉は、生活習慣とか、しつけとかそういう表面的なことじゃなくて、
妊娠期から親自身が自己理解を深めること、心落ち着けること。
幼少期からの性教育。
が要だと思う。っていう感じのことを書いてた。
+「食農教育」を引っ付けてたけど、ここは私のしごとじゃないって今は思ってる。
できる人と繋がったらいい。
発表はさんざんで、全然伝わらなくて、悔しくて大泣きして。
でもサロン月草や、自分が親になって確信したこともたくさんあった。
片付けのこんまりさんが、小さいころから家事雑誌を読み漁ってたように、
小学校低学年から、性教育の本をたくさん手に取ってきた。
いのちの誕生の壮大な物語と、今自分が確かにここにいるっていう仰天の事実に魅せられ続けてる。
いのち
からだと
こころと
自分の核(魂とか子宮とかプライマリーとかエッセンスとか…いろいろ言われてるような何か。)
がひとりひとり無二の生を全うできるように。
いのち与えられたものすべてが、生まれてきてよかったといえるように。
祈っています。
生きながらにして、死んでる人を少しでもひっぱりあげたいと思ってる。