橋の下と自分の言葉と〜魂を喜ばせる〜
心のよりどころがなくて眠れない。
いや、昼寝はした。
興奮としびれと、高揚感と次の瞬間泣いてしまいそうなあやうさとの狭間
こんなぎりぎりな感じはいつぶりだろう。
また、詩人になれそうだ。笑
前回の記事に、自分がビビってる。
推敲中何度も読み返して覚えてる言葉を反芻してる。
反芻するたびに、ふるえるんだ。
だれの言葉なんだろう。
書いてるとき私は空っぽで、それでも手が動くから書いてる。
とりつかれて出てきたものに不思議と力と、新鮮さと、私にとっての真実をしんしんと感じる。
本当に肝に落ちるのはまた先の話なんだと思う。
今痛くても、暗くても、落ちてもちゃんとここ通っておかないと次にいけない。
いったとしてもまた得体のしれない何かに引っ張られるだけだ。
自分の闇、死なないために見ずにいた自分を公にしてみて
そのまま伝わるだけじゃなくて
受け取ってくれた人それぞれに届いた言葉があって
そこにあったのは闇だけじゃないってことを気づかせてもらった。
なんでこんなに頑なだったんだろう。
隠さない私が、そのまま受け入れてもらえる場所があるかもしれないという安堵感。
思いがけず、あふれるものがあった。
体が死ぬのは、遅かれ早かれみんな死ぬ。
悲劇なのは、生きながらにして心が死んでることだ。
それがめぐりにめぐって社会にとって害にすらなる。
体は死んだ者勝ち
心は生きた者勝ち
魂を喜ばせた者勝ち
これ今日の自分の言葉。湧いてきた言葉残しとく。
それが今の私の仕事。
父が死んでしばらくしたある日、地下鉄で見知らぬおばあちゃんに話しかけられた。
お墓参りをしてきたというその人は、死ぬのはこの世での修業が終わったからだっていうようなことを言って去って行った。
当時の私には、つかの間の慰めになった。
そして、もともと私の中にあった太く短く生きるっていうイメージがより強くなった気もする。
生きる間は妥協しない。
私の人生は私が生き切るんだ。
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そんなさなかに出かけた、橋の下世界音楽祭!
HPみると、2012の動画には「時代に流されるな 魂に流されろ」とある。笑
ほんと、そのまんまだよ!!
も〜〜〜〜〜〜〜〜〜すごい!!
去年9月、はじめてライブハウスでの絵本読み語りをさせてもらったのが
なんと!橋の下主催のタートルアイランドのお二人、アルコドのライブ!
もう大感動をして、大好きになってしまって、私ライブが足りてなかったのよ〜!!って痛感した日だった。
橋の下もタートルアイランドも知らぬまま、出会ってしまって、
読み語り中には娘のお守りまでしていただいて…。
その前後に複数の方からこのお祭りの存在を聞いて、絶対行くぞ!と決めていた。
そして先日名古屋KDハポンでみたマスク バラ・デラ・パラードの出演者のみなさんもスタッフとして関わっていらっしゃるのを
後から後から知って、橋の下デビュー戦は3日目の昼間しかいられなかったけど、
会いたい人にあえて、聞きたい、食べたい、飲みたいものにであって
ご縁がすべてここ、橋の下につながってたんだ〜って、今も感動に浸っています。
来年ど〜やって、ど〜いう規模で泊まろうかって夫と作戦練りながら帰りました。笑
夜だよ夜!夜までいるぞ〜!タートルきくぞー!
子どもたちは、ただでさえ祭りの多い豊橋にいて、さらに wassa!だ 橋の下だ!って
月に2.3回祭りがあると思ってる気がする。笑
もう、そのウワンウワンとした雑多なエネルギー!
あ〜たまらない!
そして、年々拡大しているという規模、巻き込む人たちのスケールに圧倒されて
その関わる人すべて、ひとりひとりの人柄に魅かれてしょうがなかった。
この世も捨てたもんじゃない!って思える心強さがあった。
それは藁をもつかみたくなるような心境とは次元の違う、心地よさ、解放感、ワクワク感。
あぁ、いてくれてありがとう。
一緒に生きててくれてありがとう。って言いたい。