やっと、祭りが終わった。

どこからなにから、、と思うけど、とにかく自分の謎解きが終わったんじゃないか。って思えるところに行けた気がする。



第4の誕生日とも言いたい気分。
 気づいたとき、ばんざ〜い!って言ってしまった。
 今夜は夫と祝杯をあげました。笑
 たぶん明日以降もじわじわ来ると思うけど、とってもとっても大きな変化の可能性がひらかれた感、大です。
 逆に言えば、なんでこんなにも自分を締め付けてたんだろうと、当たり前すぎることほど気づかないものだと痛感しました。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私は短気で怒りっぽくて激しい。
 もうそれはどうしようもない、とあきらめて、受け入れてたけれど、やっぱり気持ちのいいものではなく
 でもとっかかりもわからないままだった。
 一つ一つ自分を見つけなおす作業の中でも、これだけはどうしようもなかった。
 まあそんな自分だけど、これが私で〜す。と開き直りもしてみた。



でもこれは最も身近な原体験によるんだと。
 それが、特に男性に対しての幼いころからの拒絶反応とも大きく関係しているんだと
 つながってしまったわけです。
 もっと言えば、私が人に何か頼みづらい=人を信頼しきれないことや
 性的なプレッシャーに輪をかけて敏感になってしまうことも
 たくさんの人と仲良くしたり、好意を持つことに対する罪悪感とか
 全部根っこはおそらく同じなんだと。




それっていうのは、もうほかでもない、父が怖かったんです。笑
 もう怒鳴り声を聞くと、自動的に涙出る。みたいな感じ。
 私の声に子どもたちが泣くのと同じ。
 反抗は適当にしていたけれど、それでも絶対的な存在すぎて、変な口答えや文句はあり得なかった。
 120点目標にされてたり、ってしんどいよね? 一時期はそれを誇りに思ってたりもしたけど。。
 文句言ったり、感情ぶつけても大丈夫って思えない部分があるというのは、
 親しみはあっても、本当の意味で信頼感にかけていたのではないかな?あきらめとも。
 


そして古風な人でした。
 とても母を愛していていつも一緒にいて、二人は幸せそうで、子どもとしてはとても居心地がよかったけれど
 その一方で刷り込まれていたのは、結婚したら外に出られない、友達とあわせてもらえない環境。
 父の死後、母の近隣との交流をみていると、よかったなあ。と安心することもある。



もう笑っちゃいます。


 

本を読む自分の時間以外は、家族のために時間を費やしてくれて、いざというときは守ってくれる人でした。
 「我が家の宝物」と葬儀のとき母が言った言葉はそのままに、
 おちゃめなところや、偏ってたかもだけど豊富な知識、押し付けがましいけど親身な部分とか、なんでもできちゃうところとか
 大好きな父でした。




でも、結構、いや相当我慢してたんだなあ。
 圧力、威圧感。
 それがどうしようもなくだめだった。
 そういう感じをもつ、男の先生、同級生とかこっぴどくあからさまに嫌ってたりした。その理由がわからないままに。
 逆に、母の実家や夫の実家に行くと、なんでみんなへらへらしてるんだろう、怖い人がいないんだろうって不思議に思ってた。
 


ここ余談だけど、
 パートナーの家族とのカルチャーショックや違和感って、自分を見つめなおすものすごいチャンスだと思う。
 なんだこのザワザワもやもや、嫌悪感…って突き詰めてくと、
 「本当はしたいのにできないこと」「本当はほしかったもの」「全く初めての体験を味わってる」…
 少なくとも私の場合はそういう発見がたくさんありました。
 その結果、自分がすっきりすると、ダメ嫁だろうがなんと思われようがとにかくご縁をありがとう!!って感じ。
 やっぱり、この人、この新しい家族、新しい世界を選んできたんだなぁって不思議な気分になる。




思春期以降いろいろあって、輪をかけて男性不信になっていく中で、
 世の中の男性=夫だけ でいいってずっと思ってた。
 だから極力男の人に触れないようにしてきたし、結婚後も「自分の友だち」としてじゃなくて、「夫の友だち」として付き合ってたりした。
 サロン月草みたいに、女性限定の場所に安ど感を求めたりもした。
 

でもね、今年はじめ「男性ブロック外す」宣言の後、世の中にはすてきな人もいるんだな。ってやっと感じられてきて
 そしたらどんどん好きになっちゃいました。笑
 それが自分の中で大きな矛盾になっていたのがここ数日。
 


男の人=こわい、うざい、めんどくさい、避けたい
 っていう気持ちがまだ残りつつ
 たくさんの人を好きになることが、家族を愛することに何ら影響しない。っていうことに気づいてみて
 ものすごい葛藤があった。




でも、そもそも何でそこに葛藤があるの?なくていいよね。
 あの子もあの人も私の友達なの!好きなのよ! 以上。でいいよね。
 むしろ何言ってるの?
 (夫に何度言われただろう。私は彼にとってどこまでも理解不能な人らしい。笑)
 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
5/5 ハルシオン祭 wassa!wassa! の裏テーマ。


・夫の友人のつながりで開催していた恒例の行事に「自分の友人」を招待すること。→男女とわず自分の友達に会ってもいい。
 
・好きな人にたくさん触れること→ハグ宣言

・お腹から笑えなくて、声が出せなくなってた自分をかえること→マイクなしでやってみた。

・完璧を目指さない。自分ができる、やりたいことだけ。→おかげで、読み語りはじめ準備不足な点があったかと。。


など、私にとってはチャレンジの塊のような日でした。
 来てくださったみなさん感謝!
 後日息子に、楽しかった?ときくとうなずいて
 「うれし涙が出てた。」というから驚いた。
 え??いつどこで??っていうか、その単語どこから仕入れたんだ?
 ともかく、その日から兄妹の表現活動がより広がった気もします。
 何か感じてくれて、喜んでくれたなら、私なりの育児の一環としても、とにかくやってよかったって思ってる。




でもやってみて、やっぱり自分の中で不完全燃焼の部分があったし、眠らせてた欲求にも気づいたり
 相当もやもやしたものが残って、終わった後の大混乱の末の今日がある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今夜布団で 「ばんざーい! お母さんだんだん楽になると思う。」と子どもたちに言ったら、
 「楽になるの?」と聞き返しつつ、にこにこ。
 しばらくすると、ふいに息子が、娘が生まれた時どうして娘と私が泣いていたの?と聞いてきた。
 久しぶりの質問。
 立ち会ったとき、私が泣いていたのが印象深かったらしくたまに聞かれる。



 おかあさんは娘が無事に生まれてよかった〜って泣いてたんだよ。
 息子は、体が外に出る前から産声を上げてたよ。
 どこだっけ?吉村医院で産んだんだよ。
 そういえばすご〜く久しぶりに託児のお手伝いの予定があるから一緒に行く?…
 なんて会話が続き…



あぁ、ようやく次に来てくれるの子から宿題が一区切りしたのかな?って思えた。
 やっと、祭りが終わった。




これからは、私自身の威圧感をぬぎすてていこうって思います。
 そんなもの私にいらないものだった。
 もっとくだらない楽しげなことを考えてたらいいんだって。
 そしてもっと人を信頼していいんだって思えるようになりたいです。
 しばらくその練習かな?

4月半ば、ぐちゃぐちゃしてた頃、
 最初に見つけた3つのことば(ひらがなバージョン)「人生で手に入れたいもの」ってのもやってた。


こども きぼう やさしさ


そう、私本当はやさしくなりたいって思ってる。
 子どもにも自分にも誰にも、もっとやさしくありたい。
 泣いてる人の手を放してしまったことがある自分をずっと悔やんでいる。
 一緒に抱えきれないと感じたのだと思う。
 自分の中にもっと余裕をもちたい。



もっとおおらかにいたい。
 子どもをそういう心持の中で育てたい。
 平和へのきぼうは子どもたち。



私の平和活動。
 世の実を知ることが第一だけど、今の私が自分の命を燃やしながらできるのは
 私自身が平和でいること。
 そのために必要なことをすること。
 その中で子どもを産んで育てること。  
 子どもの中に平和を宿すこと。



ふ〜。さあ、まず手つかずだった家事を再開しよ〜。