夜が来た。
無邪気な私が本来の姿だといわれても、どう転んでもこのままではそうなれないとわかっていた。
これからちょこちょこ触れることになるだろうこういう話題も、
思わぬところで影響を与える人がいることが分かってきたので、
自分のためと、その人たちのために書きます。
子どもたちと早くに布団に入って、夜目が覚めると、全身がおびえている。
こわいこわい こわいこわい
「言っちゃだめだ」っていわれた
(誤解があるといけないので、家庭内の話ではないです。)
いろいろと起こるずっと前から、男の人を馬鹿にしずには対峙できない自分がいたことはやっぱり謎のままだけど。
息子はこの数日、私に「だいすき」という回数が増えた。
私の変化を感じ取ってる。
子どもたちはどこまでも味方してくれる。
最近は一人で寝たくて隙あらばベッドに上がるけれど、両脇にこどもがいることがこんなにも心強く感じたのは久しぶりだった。
朝、二人を抱きしめて「いてくれてありがとう」と伝えた。
わたしは 悪くない。
いのちの話とか、性の話をしようとしたとき、子どもたちにも大人にも一番伝えたかったのは、
こわいことや何か困ったことがあったら、親に言っていいんだよ。
いやなことはいやと言っていいんだよ。
っていうこと。
なんてことない、これ、昔の私に言いたかっただけじゃん。って。
もう、ぱ〜っとしたよ。
まだまだ息苦しいけど。
そして、一つ気づいたのは、どんなに良好な親子関係でも、言えないものは言えない。ってこと。
だから、親じゃなくても、パートナーじゃなくても、信頼できる人にまっさきに話していいんだよ。
とにかく話していいんだよ。ってこと。
もっともっと早く誰かにいいたかった。
このことが一番自分を苦しめてたし、サロン月草でも レポ→ http://ameblo.jp/kodomotoayumukai/entry-11985694695.html
それを切に感じてた。
どうにも振り切れなかった、この単元。笑
いのちや性のはなし。それをしたければすればいい。
けど、私はもっと違う表現がしたい。
私の仕事じゃない。
ぼかしぼかしだけど、とても動悸が激しいです。笑
先日、サロン月草の日の朝、娘が身を挺して私をいかせてくれなかった。
ひと騒動の後、「お母さんを休ませてくれたの?」ときくと大きくうなずいた。
もう、私の仕事じゃない。
私は次に進んでる。
独走しろ!って言われてる。
母の日 一人時間をいただきボストン美術館へ。
待っていたのは、「夜」だった。
今の私。
でもちゃんと夜明けが来るし、出港した舟ももどってくるのはわかる。
自分が死なないために、蓋してたけど、これから生き返るためにしばらく死んでみます。笑
放心状態、心ここに非ず、な日々です。笑
「不自由な仮面舞踏会」のシナリオづくりもぼちぼち並行して。