今年の目標早くも改め!「人間」をぬぎすてる。〜親という繭からの脱皮〜

ここからが肝!!


目標宣言の時、どうしても最後まで言葉が出てこなかった。
 私どうすればいいのか?


結局よっちゃんの助言に従ってやっとのこさ口から出てきたのは、

「人間をぬぎすてます!」

その日は全くどうしていいやらぴんとも来なくて、男性関係が解放されたことしか(前の記事)
 印象に残らずはてさてどういうことかと。


でもこの数日本当にあれこれと思いだしました。
 そしていかに親のことば、生き様一つ一つに影響を受けてきたのかを思い知らされました。



夫曰く、私が「親」というものにこんなに執着したり関心を持ったりするのは
 (自分の第一の夢は母親になることだったり、学生期「親学」なるものに関心を寄せたり、仕事でたくさんの親子と関わったり…)
 自己肯定感をしっかり育まれてうけとった裏返しなんじゃないかと言ってくれた。
 大事なことは、私は両親をとても愛していて、尊敬していて、感謝しているってこと。
 大きな反抗期がなかったことがむしろ不自然だったかもしれないけれど、
 自分が好きなことに対し興味を持ってくれ応援してくれ、見守ってくれ
 「できた」両親だと思っていることです。


それでも、そんな私でさえ、自分のもつ根源的な欲求をセーブして彼らの望む「かしこい人間」を演じてきたのかと
 なんだかものすごい発見をしてしまった感じでいます。
 幼いころに「お父さんとお母さんの子どもでいてあげている」的な発言をして、
 父が(おそらく私がそういうことをいう感性をもってることを喜んで)笑ったことがあった。
 でも本当に、その言葉通りに生きてたんじゃないか。



結局、昨年の目標「父の遺産整理」の続き。
 男性関係と同じく(異性にもてちゃう=夫曰くフェロモン多め、なのも両親の血なのだ。)
 未着手のこと。
 それは知らず知らずに着せられた親の思い、願い、期待と向き合うこと。



 父は、人が人間たる美しさは「優しさと理性のバランス」にあると書いていました。
 なにごとも120点を求めました。
 できるかぎり自力で問題を解決していく姿を見ました。
 同性にもてない人間はいかん、と言っていた。
 両親は子どもに「かしこさ」を望んでいました。
 母は家ではいい子でいなくていい。といってくれた。


他、思い返せば多々あるのだろうけれど、
 学童期〜思春期特有といったらそれまでだけど、正直いつももやもやイライラしていた。
 大声出してみたり、モノに当たることが多かった。
 つい最近まで、外面良くても家庭内では八つ当たり全開。
 家では素でいていいんでしょ。と、子ども時代に守られていたやさしさに甘え続けていた。


もう、ぜんぶ手放していい。
 子ども時代に道しるべになっていた価値観、大人になって自分を取り戻そうという今となっては
 ぬぎすててしまおう。



そういえば、中一なりたての自己紹介で好きな言葉を発表したとき
 みんな「ありがとう」とか「おはよう」とか言ってる中、私は「人間」と答えた。
 一生懸命、「動物の私」は「人間」になろうとしていたんじゃないか。



そのころ、ムツゴロウ王国にあこがれて獣医を目指していたり、
 ペットである犬をかわいがったりしていて言葉のない交流を心地よく思っていたし
 今でも動物や、生まれたての赤ちゃんとの方が気持ちが通じやすいと思ってる。
 去年までは、パートナーの犬を飼いたいと結構執着していたけれど、
 自分が動物になってしまえばいいんじゃ〜ん。と気づいたら動物欲が消えた。
 動物は、他の動物を飼いはしない。



家も「巣」って感じで、本当に心許した人にしか入ってもらいたくないのだ。
 夫が一緒のときはオープンになれるけど、自分だけの時は結構ガード固いな。笑



そして私が「お産」に執着するのも「死」と同じくらい、本能をむき出しにすることが社会的に許されている(はずの)場面だからだ。
 吉村医院では検診や陣痛にのっている間、先生に「動物になれ」「サルになるのよ」笑
 なんて声をかけられる。
 待ってました!って感じなんだな。
 やっと自分が自分でいられる場所に出会えた!
 なんで妊婦さんの美しさにひかれて、自力のお産にこんなにも執着したのか、自分の生まれ方への疑問以上に
 そもそも自分のなかの動物がうずいてたんだな〜。




そこまで思い至ったら、意味の分からぬもやもやイライラが本当にどこかに行ってしまった。
 31年間おつかれさま。笑
 これからは全力で、お楽しみさまだわ〜。




脱ぎ去った後の私は「動物的な勘」で生きてます!
 生まれたての赤ちゃんのような、命のエネルギーの塊!
 って感じらしい。
 ぱんぱかぱ〜ん!みたいな、感じだと思ってる。
 その人をその人たらしめる、芯があるとしたら、芯むき出し状態になっちゃうんじゃないかって話も。
 それ故に、「クーピー」はどうよ?とその場であだ名もいただきました。
 最近複数の人に、私の印象が黄色っぽい、太陽みたいといわれていて
 しかも書かないと健康を保てない私にぴったりの筆記具?
 「しなやかで減らない光放つクーピー」みたいな私になるのかも。
 クーピー・けい ?


中学時代限られた人の間でだけ使用された「ポチ」以来の、実際の名前「けい」とかけ離れたあだ名。


久しぶりに「おとひめカード」を拝借すると

く   引きよる      結合・繋がり        くくる
う   生まれ出る     統合・根源・火・内側の充実 ワンネス・うまれる
ひ(ぴ)根源からの出入り  日・火・陽・エネルギー   スピリット
い   伝わるもの・陰   光・風・いのち・活動    光

け   放出する      表面に出るもの・食物・気配 放つ

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ちなみに、
ほ(ぽ)引き離れる     ふくらみ・ゆるやかに出る  立ち上る
ち   凝縮        力のもと・力を込める    強い


う〜ん、なんかもう今の私、ピッカピカだね。ほんとに。
 これからリアルにペンネームにしようかしら。



もう一つ、ピッカピカの私のイメージ。
 高校のとき「創造は醜なり」という本を読んでとにかく印象に残った。
 画家中村正義さんは豊橋出身で、ちょこちょこ展覧会が開催される。
 中村さんの生まれた土地に住むことになったのもご縁だと思っていたら、
 ちょうどいま、豊橋市美術博物館で無料の展覧会が開催されていると知り足を運んだ。
 いかないと、このブログを更新できない感じだった。
 
http://nakamuramasayoshi.com/


いました。私が。
 「女」という作品。
 顔、薔薇、舞妓が有名だが、その舞妓の着物がはだけている。
 むき出しの性。


私の好き。
 身に着ける
 話す
 食べる
 性
 詩・うた
 舞台
 … 


幼少期こんなことが好きでもたいていの女の子がすきだからどうってことないと思っていた。
 でもこれがとっても好きなんだ。
 いま、娘がものすごい「女」っぽくてやんなっちゃってるんだけど、
 私もとても「女」なんだな。って認めることにしました。
 今書いてて気づいたけど、本当に絵の中の「舞妓」っていう職業あるいは「遊女」にも通じる面がありそう。
 ホモサピエンス メス!なのだ。



上に書いた「好き」は、アクセサリー作り、サロン月草、よみかたりなどで昨年から少しずつ満たそうと動いています。
 桂HP http://livebooksou.jimdo.com/




子ども時代の「好き」が人生を楽しむ要って知っていたら、もっと早くワクワクの世界に来れたのかも。
 そして塾で出会った子どもたちへの寄り添い方も違っていたのかも。
 そもそも塾では限界があるにしても、その子の好きにもっともっとフォーカスしていきたかった。
 いや、
 これから出会う子どもにも大人にも、自分がピッカピカになることで、笑
 知らず知らずに背負って着込んでいるものを脱いでいくきっかけを配れるようになりたいと思います。


とにかくこの1週間の私の手帳はすごいことになってる。笑
 以後、必要があれば小出し小出しでまた書きます〜。


明日は託児を引き受けております。
 その後、節分まではメンテナンス期としてゆるゆる過ごそうかと思ってます。
 おやすみなさい。


2015年もスタートダッシュがアツかった。
 気づきとチャレンジの機会をくれるよっちゃん、見守ってくれる方に多謝!