かわっていくこと、かわらないこと〜初女さんのおむすび〜レポその1

行ってきました。日帰り小旅行。逗子。
 森のイスキアの佐藤初女さんと作家田口ランディさんの対談

子ども生まれてから?はじめて単身旅行。
 早朝から晩まで。
 家族に感謝!


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「しなってゆれるほど強い木なんだよ。」とおしえてくれたのは、
 母だったか、祖父だったか。
 実家の庭の今はなきタイサンボク。
 幼いながら、風の強い日に大きく揺れる木をじっと仰いでいた。



ゆれていい。芯をもっていれば。
 対談前日の日記に書いた、まさにそのことがメッセージの一つとして示されていた。
 答え合わせ。
 そんな感覚。




初女さんのおっとりとしたイメージとうらはら。
 なんとパワフルでエネルギッシュな方なのだと。
 お会いしにいって本当に良かった。
 二人の優しい声の響き。



ドキュメンタリー映画地球交響曲 第2番」
http://gaiasymphony.com/gaiasymphony/no02


の上映からスタート。

「めんどうくさい」から一線をこえたところに感動が生まれる。
 一線を越えさえすれば一つ一つ改められていく。
 社会にはびこったこの言葉を憂いておられた。



さっそく宿題を出された感じがした。
 生きていれば、生活していれば何から何まで「めんどうだ」
 ちりひとつ拾うことさえできないときも。



なにが初女さんのパワフルなところかと言えば
 「昨日と同じ日にしたくない、昨日より今日ひとつでもよりよくしていく」
 言うは易く行うは難しっていうことを
 本当に生活の中で実践していらっしゃる。
 その丁寧に積み重ねられた年輪のようなものに圧倒された。



手を合わせる祈りは静の祈り。
 初女さんの祈りは生活すべて。動の祈り。



梅干しづくり、漬物作り、おむすびづくり、庭の手入れも、食材探しも
 傾聴も、もてなしも
 自分を「ないもの」として、しっかりと目の前のものことを感じること。



旧姓を 神 初女 さんというらしい。
 なんと、まあ。
 お名前そのままとはこのことかしら。
 何事に対しても初々しく感じ取り受け答えなさる姿に
 茨木のり子さんの「汲む」という詩を思い出さずにいられなかった。
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汲む―Y・Yに―   茨木のり子

大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

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ゆれてもいい、しっかりと目の前のことをとらえて感じて
 それからより良い方向へ昨日より今日、今日より明日と踏み出していく。
 そして、できることをやりきったときにはじめて、天命を待つ。
 

人事を尽くして天命を待つ、は祖父の座右の銘だったそう。
 幼少時代病弱で、死と隣り合わせ、「いつ死ぬかもしれない」と思ってすごしていたこと
 心の通じ合う人=仲間との出会いがよろこび
 おむすびをおいしくこしらえる、店に訪れた人の話をきく、手仕事をまめにする私の母の姿
 自分や家族が大事にしていたことと通じる点があって
 ひそかにうれしい気持ちになった。



初女さんのおむすびをにぎってみた。
 いつもラップを使ってひょいひょい握ってしまう。
 のりさえ、空中でぱりぱりっと破ってしまう。
 


しっかりと器具材料をセッティング。
 手元に意識を集中させる。
 暖かなごはん、塩のじゃりっとした感触
 ふんわりと持ち上げて優しくにぎる。
 おまじないは不要。
 ただ一心に、一粒一粒が呼吸できるように、むすぶ。



のりを丁寧にのせ、隙間がないようにぴったりと慎重に包む。
 なんだか立派な一品料理。
 作りながら、自分が癒される、そんな気がした。



かわっていくこと、かわらないでいること。


おいしいごはんをつくってたべたいという思い
 日々気づき、手を使い、工夫を重ね続けること。


シンプルだけど、ふだん自分を甘やかしている身としては
 とても厳しい教えでした。
 けれどもそれが、本当に初女さんがおっしゃることだからこそ
 ぴしゃりと心に刻まれるのです。



言葉より、行為、実践を。



そして、驚きだったのは
 疲れた時には「少し」横になる。それはちゃんと進んでいることになるのだと。
 それはちょうど、火を止め、余熱で素材に味を含ませるのと同じだとおっしゃった。
 あぁ、本当に。
 いま一人こうして何かしていると、娘が泣いて呼んでくれる。
 その横になる時間に、思いついたりすることがたくさんあって
 それが次の行動を無駄の少ないものにしている。

つづく。

今日はいまからサロン月草です。