游神=こころをあそばせ楽しませる〜初女さんレポ2+α

毎回同じ書き出しのようだ。
 連絡が不十分だったり、プロジェクトの話がなかなか進まなかったり
 そわそわさせてしまっている方がいらっしゃったらすみません。


すっかり冬らしくなって、夜は寝落ち。
 このところ娘が少し風邪気味だったこともあり一晩中おっぱいをくわえているものだから寝た気もせず。
 やりたいことも、アイデアもどんどん湧いてくるのに、文にも形にもできないまま
 家のことも手が回らず、がっかりすることもたくさんある。
 この国のこれからを考えるとどっと思い悩むこともある。


それでも、生きているのが楽しくて、寝る間も惜しいほど
 心は元気だ。
 小さなイライラとは別次元で、今日の自分、明日の自分にワクワクしてる。
 

いよいよ年末。
 事実上明日新月冬至から新たな一年が始まるようなそんなタイミングなので
 サロン月草やすてきなイベントのレポも書きたいのだけど…(これも毎回のセリフ。汗)
 このところ縁のある「かみ」の話を今年の〆として残しておきたい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
佐藤初女さんのことばの紹介の最後は

一人一人に神がやどる。

 訪れた人、そのどの人にも神が宿っている。神様だと思って扉を開けている。ということ。



こういうことに着目すると、宗教系のお声かけがあったりするのですが
 それにはうんざり閉口している。
 私には必要ない。
 そうではなくて、英語で言えば gift。
 魔女の宅急便で言えば 血 の話。


それをおそれずに信じてみること。
 

神=紙に通じる。
 和紙漉きや、和紙の原料の楮(こうぞ)を使ったアクセサリー制作には
 そんな思いもあります。
 そして一つ一つの文字もまた、古来には神にささげたりするような力を持ったもの。
 紙や文字を身に着けるってこと。
 そこに込められた祈りのようなものを表現していくのが私の仕事だと思い始めています。 



先日作家のまあちゃんの告知で森田正道さんの書展を知り足を運びました。
 山崎フレディーさんによるギターの生演奏のもと
 たくさんの言葉に囲まれていくつかの自分に必要な書にも出会うことができました。
 その中の一つ。


游神(ゆうしん)

しんをあそばす こころをあそばせ楽しませること 精神をほしいままに楽しむこと



あぁ、いまやっとそんな心境になってきてるのかなぁって、す〜っと入ってきた。
 


最近ほんのすこし自分の体と話せる。
 とても頻繁に出てくるのは、
 「自分を信じろ。」という言葉。
 そんなに信じていいんですか?
 自分のアイデアや考えてることが、だれにどう思われて受け入れられるのかどうかとか
 やっぱり無意識のうちに考えに入れてしまっている。
 でも、とにかくとことん自分の感覚、こころの喜びわくわくを信じてやってみればいいのかもしれない。

6月のころ、今年の目標だった「家族や自分の平安のために、父の物的、心的遺産の整理をして手放すことを決める」
 ということも意識して父だけでなく、祖父母や親族たちのどんなことを引き継いでいるのかな。
 と思いを馳せていた。


「人」とはなんぞやと常に問い続けた学者作家志望で本の虫、剣道と書道をこよなく愛した塾長だった父
食べることを第一にし、独学のパッチワークや手編みニットが美しく、女優や染織職人にあこがれたという母
和歌の才能が有り信心深い和裁職人の祖母
活版印刷や小売店を起業した生き物好きな祖父
旅館育ちで芸事の好きな祖母
教師、アーティスト肌、農学校の講師、板前、金魚飼育…


ざっと見聞きしたことを思いだすだけでもいろんな血がながれているらしいということになる。
 そして、だからこそ、あぁ私は私でいい。
 夫と私から伝えられることを子どもたちに見せていけばよいのだ。
 父のこだわったあれこれをそっくりそのまま引き継ぐ必要はないと、縛りを解けるようになった。
 とても自由になりました。



父の思い出の一つは蝉のエピソード。
 学生のときに作った詩画写真集「過程」に、父の若かりし頃の詩と対話する形でこの思い出を詩にして記録したことがある。


雨の日に幼虫が成虫になろうと壁を登っていたのだが、危なっかしくて部屋の中の柱につかまらせてみることになった。
 それが失敗。
 すべって羽化の途中で落下し、縮れてしまった羽が重力で伸びることなくそのまま硬直していった。
 父と罪悪感を抱えながら一部始終を見ていた。
 父は羽を伸ばそうとし始めた。

 
私は恐る恐る、「生きられはするよね。」というようなことをきいた。
 父は答えた。


「それでも飛びたいだろう。」



蝉にとっては飛べなければ、生きていると言えないのかと、はたと息をのんだ。
 私はこのとき「生きる」ということを考え始めたのだと思う。



親族たちは、すごくざっくりいえば、人を含めた「生き物」に対する関心が強い。
 そんな血を分けた兄妹はというと、
 兄は農学部に進み、木材の研究を経て、仕事でも木を扱っている。
 私は母の影響も大きく、どちらかというと社会派で女という生き物にみせられてる
 一方、ぐっと身近にひきよせた「天然のレース」の楮はやはり木だ。
 そんな共通項に不思議を感じつつ、そういう血なのだと思ったらとても心強い気がしている。



もう一つ、ここに宣言しておくと、私は「舞台」が好きだ。
 どうにかして関わりたい。
 アーティストを誘致するだけでなく、いっしょになにかつくりたいと思う。
 よみかたりでライブに参加させてもらうのも一つの形。
 できたら、和紙や楮レースや、書やなにか作れるもので衣装でも舞台装置でもなんでも一つの作品作りに携わりたいと思ってる。
 2次元より、3次元4次元…立体、空間、時間…をつくりたいのだ。



そういえば大学をきめたのも、彫刻の先生がいたからだったと最近思いだした。
 残念ながら定年退職されたので、ゼミはなかったけれど。
 浪人時代、卒制には舞台装置をと思い描いていた。
 いざ入学したら全くそういう方向性を忘れてしまっていた。



晴れの舞台というと、結婚式。
 自身の結婚式はほぼトータルプロデュース。
 充実した準備期間で、きっかけがなければ体験できなかったものづくりもした。
 いま、結婚式準備のアイテムづくりのお手伝いのはなしがでてきている。
 そういう関わりもとてもワクワクするものだ。
 何事もチャレンジ!
 ピンと来るものをちゃんとキャッチして流れていこう。



私の中の「かみ」をあそばせるようにあれこれと発想し生きていることの楽しいこと。



来年の抱負はもうきまっているのだけれど、それは年が明けてから書きます。