いま、ここを生きている・こわさを感じる成長

で、なにを書きそびれていたかってことを書こうと思います。
 今日がそのタイミングだったってことで。


1日書ききれず、2日間なんとか続きを。
 と思うと、呼ばれちゃうんだな。娘に。。
 そして今も呼ばれたけど、、寝かせた〜。書いちゃいたい。。
 

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夏休みなんてあったんだろうか。 
 どう過ごしていたか、すっかり忘れている。
 久しぶりに、落ち着いて夕食をつくり、ご飯を食べさせ、
 後片付けして、風呂に入れ、歯を磨き、寝付かせる。
 というあるべき当たり前の午後を過ごして
 夏休み前日が昨日であったかのような錯覚におちいった。



小さな子どもたちと過ごすとは「今、ここ」をともに過ごすということだ。
 過去は覚えていれば少しあるけれど、未来はない。
 


一日は白紙からはじまる。
 自分と子どもたちそれぞれのコンディションや気分、欲求
 天気やすべきこと、決まった予定。
 それらを練りに練り合わせて1日がやっとのこさ形作られる。


英国のサッチャー氏の政治家にまつわる言葉に「権力に発言してほしいなら男性に、実行してほしいなら女性に頼むべき」というようなものがあるそうな。
 先日、自営業?の男性のブログで、丸一日自分の子とすごした大変さを書いたレポを読んだ。
 大変なのはわかってる。
 むしろ、共感しすぎて思いだしイライラしたりして失敗した。読まなきゃよかった。
 ついでにいえば男性と女性(特に産後の)とは頭のつくりが違うのだ。
 男性が子育てするってのは、それはそれは本当に大変なことと思う。
 何かしようとするとすぐジケンが起きて、作業中断&仕事さらに増える〜みたいな繰り返し。
 男性が書いた「子育ては仕事より大変だ、一度経験してみろ」的なものは、発信者の意図通り、子育てしたことのない人が読めばよい。
 子育てしている人は、そんなことお構いなしで今日も子育てしてる。
 その中で、子どもの「いま、ここ」を生きる姿によりそう心を忘れないでいたい。



大学卒業を前に、友人たちと思い立ちバタバタとアルバム用のアンケート実施した。
 先日急に思い立ってみてみると
 私の「進路・今後の目標」には
「学習塾の教室長で修行して、自分に子どもができたら、保育士の資格とって、家庭支援所みたいなところつくる」
って書いてた。
 あ〜。8割かなってるじゃん!って。


明日死ぬ気配をどこかに持って、本当にしたいことを「今、ここ」ではじめたら、できるんだなって。
 ちょっと自分をほめたい気持ちになりました。
 規模とか、実績とかはまずはおいておいても、はじめてるってこと。
 これからの自分に期待してみよう。
 期待は自分にするもの。と昔から決めている。
 人にかける期待にはろくなものはない、と思ってる。

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幼稚園が始まり、ひさしぶりのことがもう一つ。
 午前中に一人時間が生まれた。
 娘が兄不在のため心置きなく昼寝をするようになった。懐かしいこの時間。
 もったいなくも置き去りの新聞の山のうちほんの2,3日分だが手に取った。
 新聞だけでない、ちょこちょこ目にするあれこれに吐き気がする。



貧困問題に取り組もうとしない政府、高校生に自衛隊の勧誘があるという情報
 「景気回復にまっすぐ」みたいな自民党のポスター、軍学共同のうごき…
 ほんとに不気味だ。
 だれも望まない方向に、実行実現の内閣なんていらんのだ。


一人親や女性の社会進出のために渇望されている保育施設、こども園をめぐる記事でもあれ?と思う。
 幼稚園は文科省、保育園は厚生省の管轄だったのを、来年4月からの認定こども園は統合して、内閣府管轄になるという。
 感覚でしか書いてないけど、教育、子どもに関わるところに直接内閣だのなんだのが介入してくるあたり、ほんと気持ち悪い。
 なぜそういう案になったのか、経緯が知りたい。
 って、調べればいいけど今は書くこと優先で、勘弁を。ちょっと勢いでかきます。


私は前回の戦争の戦前を知らない。知る人は確実に減っている。
 直接知る人の話を聞く以外、肌で感じることは難しい時代だ。
 本などの記録や知識人の発信によらなければいけない。
 想像力が必要だ。
 得た知識だけでは実感がない。
 他人の経験は自分にとって動機にならない。
 自分が行動をおこすということには結構なエネルギーがいる。
 私も行動に至っていないくちだけど、だからこそ、現状にもやもやイライラしている。


3日、娘の1歳半検診に行った。
 事前のアンケートにちょっと戸惑った。
 質問意図とは違う角度で、現状がある。
 能力的にできても、反抗してしない、面白がってしない、そしてにやにや笑う。
 という情景を思い描きながらも、とりあえず能力的に可能かという視点で答えておいた。
 いやいやや、嫉妬も強くなってきて「なかなか」なお年頃です。


ここ数か月、娘には「こわい」という感情が育ってきた。
 シャワーのある風呂にいくのが「こわい」とか
 人ごみなど肌に感じる怖さではなくて
 想像力や記憶を伴ったこわさ。がわかるようになってきた。
 これはものごとをスムーズにすすめるにはやっかいなことなんだけど。
 大事な成長。
 誰かに不都合があろうとも、自分の感覚を信じて従ってほしい。
 それが生きる力の一つだと思う。
 初回のブックトークで紹介した
 「ちゃんと泣ける子に育てよう〜親には子どもの感情を育てる義務がある〜」http://book.akahoshitakuya.com/b/4309243665
 でも、他人構わずむちゃくちゃに湧き出るパワーこそ生きる力と言っていた。



書きながら気づく。
 「今、ここ」に生きることと、正しく「こわさ」を感知することの大切さに
 子どものそばで新鮮な気持ちで向い合わせてもらった。
 私のプレ起業スタートは、目まぐるしい子どもたちとの生活からの現実逃避であり、気分転換だったのだと思う。
 そんなんで起業すんな(笑)とも思いつつ
 本業は母。(さっき書いたようにちょっとオンナ寄りに移行しつつ)
 幼稚園さま様といいつつ、それ以上は子どもを預けられない自分がいて
 酸いも甘いも、彼らのできるだけそばで感じるものをキャッチしていきたい。
 そして書こうと思います。 

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最後に少し検診でのことを書いておくと、
 平均であれば何も言われることはない。
 という奇妙な空気にあらためて違和感を感じた。
 逆に言うと、平均じゃないと強弱はあれど「指導」「警告」が入る。
 医療、教育、サービス業なんかだとありがち?
 「検診に行ったのに何も言ってくれなかったじゃないか。」というクレームを避けるため
 とりあえずいう。伝える。
 保護者の方にあらかじめ気づきや自覚があればいいけれど
 思ってもみなかったことを言われた方のショックは人によっては計り知れない。
 いうのであれば、その後の手厚いフォローが必要だ。そこまでしてほしい。


打たずにいる予防接種の件は、最後に保健師さんに触れられただけだった。
 「今後医師と相談します。」というと、そうしてください。と突っ込まれることはなかった。
 瞬間、思い当たった。
 みんな人にゆだねたい。責任を逃れたい。
 提案した、勧めた、だけどクロージングはできない。医師に任せよう。となると
 心置きなく帰してくれる。
 お迎えの時間がせまり、手短に、とお願いしたのは自分のくせに。。
 なんか、このやりとりに思いがけず悲しい気分になった。
 突っ込まれるのはいやだけど、必死さがほしい気がした。
 いや、押し付けはいやだけど…なんかね。
 

ふう、ここまで!
 おやすみなさい。
 明日からやっと、家事や仕事ができるはず。苦笑