性との出会いに願いを託して
最近の書き込みは二日がかりでかいてます!汗
昨日は昼寝を切り上げた分、夜は二人そろって寝付いてくれました。
が、書いてる最中夜泣きがあり。。
今日は出かける準備をしようというところで息子が昼寝を始めました。
そして食後娘も沈没。書いちゃおう!
う=ん、あつい!!家では基本裸族です。笑
夏休み!なかなか”大人の”時間がありません。
やりたいことたまってるけど、いざ時間ができてみると本命のこととは違うことをやってしまう。
夜なんかはFBザ〜っとよんでみたり。。
ぼーっとした、ということでよしとしよう。
とにかく書かないとどんどん鬱々してくるようなので、書きます。
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来月に控えた8/6,8/7に「こどもとあゆむ会」で企画している、
プレママ&ママサロン月草、お産のはなしWS 参加希望受付中★
http://kodomoto.jimdo.com/
実質の準備時間はかなり限られていますが、思い入れはとても大きく大事に温めています。
畑で見つけたツユクサ=月草☆
8/6 サロン月草1周年 参加者フリートークのあと
テーマトーク
「性のはなしから、いのちと平和を
〜こどもと一緒にからだのはなししませんか〜」すずきけい担当
8/7 谷口真美さんの お産のはなしWS@いるかビレッジ
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当日の内容はお楽しみとして、ここでは個人的な思いをとどめておきたい。
先日名古屋の産婦人科医師丹羽咲江氏の講演で、人工中絶の低年齢化の深刻さや性感染症の広がりをはじめとした
悲しい現実をかいまみさせていただいた。
印象的だったのは
「妊娠した女性は99%まず「産みたい」という。」
という言葉。
女性はどんな事情があろうとも、授かった命を産みたいと思う生き物なのだと。
そういえば、吉村正先生の講演を聞いた80過ぎの女性が「また生みたくなった!」と感想を述べられたのを受けて
女はいくつになっても産みたいものなのだと、感動されたという話もあった。
だからこそ「望まぬ妊娠・早すぎる妊娠」がうむ悲劇を防ぐための、
正しい知識や相談者の存在が必要だという話もあった。
また、高校生対象の性の授業では、医学的な妊娠適齢期(20〜35歳)を数字で伝えているそうだ。
それを知ったうえでの進路や人生設計を考えていってほしいという。
性に関することを、知らない(教わらない教えてくれない)、相談できない(場や人がいない)ことが多くの困難をうんでいるのだと繰り返しおっしゃっていた。
私が「性」というとき、それはセックスや男女のからだのしくみのことだけをいうのではない。
それは、生死を含んだ、動物的なおおきな営みの中の、命をつなぐための心身のはたらきを意味する言葉だ。
私は覚えているだけでも幼いときから、興味を持っていたように思う。
いま、上の子も自分の性器に興味津々だけど、私も性器周辺の快感は幼稚園の頃何となく感じていたと思う。
小学生にあがってからは、図書館で動物全般の性の絵本なんかを手に取っていた。
それでも、女の子の赤ちゃんもおりものが出るし、男の子の赤ちゃんも勃起するとはあまり知る機会がなくやはり戸惑った。
最近手にした本などから、
小さい子のおちんちんが勃起するのを「元気だね!」といってあげればいいんだ。とか、
子どもがからだの快感を知ったら、「自分のからだのことを知れてすごいね」と認めてあげればいいと知って、
なるほど!と感動してたりする。
その子自身やからだを認めてあげるのと同時に、それはプライベートなことで人前でみせたり言ったりしないということを
付け加えるのも忘れないように、とのこと。
犯罪に巻き込まれにくくするためにも、親子の間で「からだのことを話していい」雰囲気があるといい。
私の「性」との印象に残る出会いは、私が4歳くらいのとき母が描いた妊娠期から出産までの我が家をモデルにしたイラスト。
兄がすでにいて、入園の時にはおなかが膨らんでいて、私が生まれてきた。
私がどんな質問をしたのかは覚えていないし、着衣の姿ではあるけれど
おなかが膨らんできて生まれてきた。といういくつかの絵を母が描いてくれた。
そのことをよく思いだす。絵も何となく覚えている。
それから、繰り返し聞かされていた、難産のはなし。
牛乳の飲みすぎで太りすぎ、妊娠中毒症になり、出産に恐怖心があり
誕生日を決めて陣痛促進剤で陣痛をおこした。
陣痛が始まってからはお医者さんたちはほったらかしで母と私の力でのお産だったそうだけど
4100gの私の頭の大きかったこと。
産後母は力尽きて、一晩中泣く私を看護婦さんが抱いていてくれだそうだ。
ずっと、このエピソードは「自分のちからで、赤ちゃんの生まれたいときに産みたい」という私の決意の源になっていて、それ以上の力があると思っていなかったけれど、
一時、精神を病みカウンセリングを受けた時、この話をしたら、
「お母さんはあなたを産んでよかったと、思っているんだね」というようなことを言われてびっくりした。
そう、確かに、母は兄や私を産んだ後、精神的に強くなったし、
産むのを勧めていた父に感謝してる。と繰り返し言っていた。
思いだせばいろいろと、
「お母さんとお父さんがいるからあなたが生まれてきた」
「お母さんとお父さんの子だがら大丈夫」
なんてこともしょっちゅう言っていたように思う。
どういうお産であれ生まれてきたときのことやどうして生まれてきたかを話すということは
親と子ども双方の肯定の作業であり
それはいわゆる自己肯定感を育てる一助になるんじゃないかと思う。
私は気性が激しいし、感情に左右されがちで周囲に迷惑もかけるけど
無条件に自分が好きだ。と言い切れる。
その源の一つは、やんわりとではあるけれどあたりまえに生活の中にあった性の気配ではなかろうか。
大っぴらではなかったけれど、たとえば生理などがけがらわしく扱われることはなかった。
父と母がいて命をつないで私がいる。私はいていい。とあたりまえに思えていた。
具体的に自分の体をじっくり見たり、本を読んだりして知りたくなったのは高校生ぐらいになってからだけど、セックスには慎重だった。
無意識にでも自分を大事だと思っていると、自分を正しく知りたくなるし、自分や親の将来のことも考えたりする。
そのベースを、小さいうちから日頃の生活のなかで、あるいはロマンティックな性のストーリーに触れることで伝えていけたらと思う。
そして、相談できずに重い気持ちをもっているのは、子どもたちだけではない。
大人もみんな性の悩みを何か持っている。
ことさら、産前産後の女性の体や気持ちの変化に対する戸惑いは、大きなストレスにもなる。
夫婦関係の変化に、自分だけではないかと悩み、パートナーとも直接本音を話せないまま悶々としている人たちも多い。
また、流産や死産の経験を秘めて生活している方も多い。
他ではできなくて苦しい気持ちがある、でもとっても大事なはなし。
それをちゃんとオープンに話し合える場をつくりたい。
もう一つ。
これはバースコーディネーターの大場ナナコさんが著書で言っているけれど、
性教育の第一歩に、「あたたかい食卓を」という提案がある。
親が子に最初に与えられることは、ぬくもりと食事と清潔だと思う。
私の場合、とくに子どもが小さいうちは、自分の手で子どもにおっぱいや食事を与えてやれないことがあるととても悲しく感じたりする。
あるいは、意図しないものをほかの人が勝手に子どもの口に運んでいたりすると殺意さえ生まれたりする。
育児の中で「飲ませる・食べさせる」ことは当たり前ではあるけれど、特別な感情を伴う営みだ。
だからこそ悩みも多い。ともいえると思う。
食べるものをささやかでも手をかけて一緒に、あるいはせめてあたたかいものを用意する。
それだけで心が満たされるのは、子どもだけではない。大人もだ。
先日、サロン月草で避難所生活の現実を防災コーディネーターの方が教えてくださったが、
やはり食べ物が「あたたかい」ことがかなり大きなポイントになるようで
ホッカイロをレトルト食品に貼り付ける方法なども紹介された。
あたたかい食卓が、口数少ない思春期の子どもにも「あなたを大事に思っている」という無言のメッセージになることもあるだろう。
まずはここから。
我が家は、無理をしないを第一にしているので、外食や惣菜に頼ることも多々あるけれど
最低おにぎりと糠漬けだけでも(夫はそうはいかないけれど。笑)
気分がよければそれでよしってな感じで生きてます。
自分の幼少期は喫茶店は別にして(名古屋っ子ですから。)外食は皆無で、家で食べるのが当たり前だった。
不足はないけれどぎりぎりの生活費でも「食事は一番大事」といって買い物をしていた母。
私は、私自身のあれこれではなくて、父母や身近な人たちが残した知恵や態度を思い出して伝えたいな、と思っている。
う〜ん、やはり長くなってしまう。
読んでくださった方ありがとうございます。
できたら直接おあいできたら嬉しいです。