「自然なお産・育児=健康志向」ではない〜自然は生死を内包してる〜

今日軒先にアシナガバチの巣を娘が発見した。
 アリ、蝶、ダンゴ虫、ばった、なめくじたちが行き交うようになった庭。
 身近に自然が来てくれたようで、うれしい気持ちがある。
 しかし、穏やかな益虫とはいえ玄関だ。
 巣が空になる冬まで見届けられるかはやってみないとわからない。
 壊してもまた同じようなところに作ることもあるという蜂の巣。
 何もなく無事で過ごせるかもしれないなら、見届けてみたい。



なんとなく予防接種を打つ打たないの選択を迫られる時の葛藤と似ている。




息子が通う幼稚園では、木でできた遊具の中に蜂の巣があるという。
 昨年、園児たちがどのように気をつければよいかを教えてくれた。
 身近な自然と共生するには知恵と勘が必要。
 


楽で、安全で、便利とはいかないのが自然だ。


ここのところ、これを言っておかなくては次に進めない、という風になってる。
 書くタイミングをのがして、最近フリーズしておりました。
 私にとって大事な主張だけど、ちょっと勇気が必要だった。
 望まれる方とはちゃんと向き合って伝えたいと思う。
 


何度も書いているように、人は人、私は私。と思って生きている。
 人を否定せず、私は私の信じることをしようと節目節目で心がけている。
 こどもとあゆむ会のサロン月草でも、
 参加者同士あるいは私が、来た人をありのまま受け入れ
 「ok、大丈夫」といえる場所でありたいという思いがある。



しかし、最近どうも守備範囲外のことが出てきた。
 モノのはなし。
 その場にない何かのはなし。
 誰かが開発した、作ったなにかのはなし。
 「その人」のはなしではない。
 受け入れようとも、興味が持てない。



健康のためには○○がいいらしい。
 ○○が万能。
 ○○さえあれば大丈夫。
 など。



私も健康であることに興味がないわけではない。
 妻として母として家族の健康を願うのは正直な気持ち。
 機会があれば放射能の影響うんぬんの勉強会に行ってみるし
 玄米や雑穀を取り入れたり
 からだに気持ちがいいフンティを愛用したり
 少し前までは「にんにく玉」を取り寄せて毎日飲んだりもしていた。
 自分のアンテナが反応したものを取り入れたりやめたりして生活している。




できるだけ健康で人生を全うしたい気持ちはわからなくはない。
 けれど、ナチュラル思考=健康志向というのは違和感がある。
 そこに「死」の影が感じられないからだ。




「自然なお産・自然な育児」というとき、いったいどれほどの人が「死」のイメージを浮かべるのだろう。
 お気軽なナチュラル思考ではない。
 しっかりと死の影がそこにある。
 一歩違えば、命を損なうこともある。
 命や体をはって生まれたり産んだり育ったり育てたりしている。
 「自然な」とはそういう言葉ではないだろうか。
 だからこそ、今生きる喜びやありがたみに大きく包まれる、
 そんな心のあり方ができるんじゃないか。



「こどもとあゆむ会」のはじまりは岡崎市の吉村医院。
 私の第2の故郷。
 そこに集うお母さんたち。
 どんなに穏やかで優しい物腰の人でも、どこか引き締まってる。
 自分を信じている。
 あれがいい、これがいいみたいな話がでても、それは自分の努力できる範囲のものだったりする。
 高いお金で買うたぐいのものではない。



現代っ子が自然なお産を望むためには自分の体の「自然」を最大限に引き出す努力をする。
 粗食と運動が基本。
 以前にも書いたことがあるけれど、麦を踏んだり、稲をなでたりして丈夫に育てるように
 「生き残りにかけた自然」を引き出すためには程よい刺激と過酷な状況が必要だ。
 身も心も無駄な部分がそぎ落とされて引き締まっていく中で、体優位になっていく。
 いかに頭が無能か思い知らされる。
 何をいつどうすべきか知っているのは体。
 つわりで体を休ませるのも、取り入れたくなる食べ物も、毒を感じるにおいも、お産が近づくと排便が増えるのも
 教えてもらってない、無意識に体がやってのけた。


 

足し算ではなく引き算。
 今、自分が欲しているものは、自分の体が知っている。
 その感覚を研ぎ澄ますこと。
 私が惹かれるのは、その方法だ。



たとえ、万人に万能な何かがあったとしても興味はない。
 明日死んでも悔いのないように生きるだけだ。
 生まれたからには、必ず死ぬ。
 私の負った歴史が、死を前にじたばたするな、といっている。らしい。
 じたばたせずに、じっと自分を信じて耳を澄ます。
 そういうたたずまいでいたい。




死だの生だの言いだすと(吉村医院もそうだけど笑)宗教のようだといわれる人もいる。
 そう思うならそれでも良い。
 自分を信じる。
 これが私の宗教。
 私の平和。