お産を語ること〜命の尊厳をまもることを伝えるための一手段

もう少し自分の中で煮詰めてから…とも思ったけれど、鉄は熱いうちに…ともいうので
 まとまらないなりに書いてみる。


今日病み上がりの息子にはちょっと無理をさせましたが、汗
 浜松に「お産の話とリンパケア体験WS」に行ってきました。
 直観的にとっても行きたくて、昨晩夢にまで見たお話会w
 いってよかったです。


タニグチマミさん主催です。様子はこちら。 
http://mamiac.com/mami/
 マミさんと個人的にもお話しでき、帰りの車ではこのところ頭に浮かんだことの端々が
 少し、つながったような気がしました。


―――――――――――――
自分が無意識に怒りを覚えることは、命の尊厳が侵害されるときなのだと思う。
 (この世で起きていることを思えば怒りっぱなしでなければおれないけれど)
 広く言えば、命あるものの心身を脅かすこと。
 易しくいえば、動物や老若男女問わず、その個性や意思を尊重せず大切に扱わないこと。
 かしら。


小学生くらいの時から最近までに、激しく怒ったこと
 ・動物のむごい死体がまるでその辺のものと同じにニュースで流れたとき
 ・戦争中の人を殺すドキュメント映像をみたとき
 ・ビルマの内戦で(にかかわらず)少数民族の村を襲い滅ぼす一つの手段としてレイプがあることを知った時
 ・面識のある人間に断りなく体をさわられた
 ・知らぬ死者を侮辱する発言をされた
 ・人格を否定する言葉を平気で言う
 ・周囲の人が奴隷かのように命令する


そして付け足すなら、これは根拠がないし覚えはないけれど
 ・産まれるとき苦しかったこと
 (陣痛促進剤で誕生日を決められ、4100gあり難産。産後一晩中看護婦さんの腕の中で泣きとおしたらしい)
 怒りなのかトラウマなのか、私の場合、わだかまりが何かが残っていて
 自分のお産に対する執着や女性性に対する関心の強さに影響しているのかな。と思うことがある。

――――――――――――――――

真の怒りが込められたメッセージには強い力があると思う。
 自分が一番熱くなれるのは、
 動物として、人として命をつなぐ営みが大事にされているかという問題。
 この問題の範疇はあやふやで広く
 身体、性、食、自然環境、家庭、教育、就業状況…など関連させればいくらでもテーマが出てくる。
 子どもを安心して産み、育てられる環境とは?
 お母さんたちはイキイキしてる?
 何を子どもたちに伝えるの?



戦時下の継続といっていい日本の状態、原発の対応…もっともっと怒ってもいいと思いつつ、
 自分の問題意識と、自分の言葉がちゃんと根付いている分野から発言、発信することも一つの方法なのかな。と思い始めた。
 

ーーーーーーーーーーーーーーー
今日のお話会では、医者や助産師などという資格のない一人の女性が
 自分のお産にまつわる体験を語ることで、命の扱い方というかその尊さを
 ストレートに伝えられることがあると実感できた。
 今後一緒に活動できるのを楽しみにしています。