自然の力を信じ引き出すということ
おはようございます。
今日明日と豊橋に行きますが、相方が2度寝してる間に更新したいと思います。
昨日「城山の森、秋の散策会〜森と木の子を知ろう!〜」
という企画に参加してきました。
岡村研究室のドクターさんが知人や活動家のみなさんと「もりづくり会議」という名のもとに城山八幡宮の森の保全および再生活動に携わっておられ、
上の企画はその一環です。
午前は樹木のお話がメインだったようですが、
私は午後きのこの部から参加。
木々の腐食の理由や植物、土壌の話などざっくばらんにお話を伺いながら森を歩き、
メインはきのこの栽培場づくり!!
城山だけではなく西日本のほうからある害虫が実のなる木を枯らして移動していて
枯れたため伐採した材木を利用してなにかできないかということで
今回きのこ(シイタケ)づくりが動き出したわけです。
まず伐採された木が混然と捨てられているところを作業ができるように整備。
身の丈の枝たちを列になって運ぶ運ぶ。
しかし時間がなく。。汗
ほどほどに切りをつけて、何本かの材木に植菌までしてきました。
ドリルで穴をあけ、シイタケの菌を植え付ける共同作業。
なかなか楽しかったです
これらが発生するのは2.5〜3年後だそうです。笑
当然ながらインスタントにはいかないものです。
そして、来月にも引き続き作業があり、参加者募集!
☆12/5.6.13すべてでも1日でもやってみたい方はご連絡を〜。
というわけで、昨日はノルマの1日3時間歩行(運動)は完全に達成できました!
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さて、本題はここからです。
昨日講師でみえていた犬山里山学研究所の長谷川清治さん(昭和一桁生まれ、樹木、土壌、農業、天文など関連するあらゆることに精通)
の一言一言に感銘を受けました。
それは先にも書いた木々の営みの解説、
たとえば
・幹が腐るのはその先の枝が折れたりストレスを感じているため。
運ぶ必要のなくなった養分をストップ&排出するために自ら枯れていく。
かぶとむしなどのえさになる蜜も、余分な養分がにじみ出ている例
(他の枝に勢いがあるときは余分になった養分を吸い取って、幹が腐らないこともある。)
・「桜切るバカ梅切らぬバカ」の真意
・きのこの植え付けに際して、常在菌とのかねあい
(酵母育てとの類似を感じた)
など、いろいろあったけど…
妊婦として一番「ああ、同じだ、自然てきっとそういうふうにできてるんだな」と納得したのは
麦をふんだり、米の葉を棒でなでたり、お茶の葉を箒でなでたりして刺激を与えると、
丈夫で豊富な実が収穫できるという昔からの知恵のお話。
それに加えて、学生時教授にも聞いたけど、
肥料や養分がありすぎると、成長するエネルギーが優位になって、子孫を残す力が失せやすいこと。
(万博跡地の会期後の見学で、葉っぱばかりが目立ち、また立ち枯れしているのが見受けられました。会期に合わせてバンバン肥料をやったんじゃないかな?今はどうなっているやら。)
つまり、環境がほどよく苛酷でかつ刺激があった方が、
本能的に「あぁこれは気合い入れて子孫を残さなきゃっ」ていう方に自然は力を発揮しようとするということ。
妊娠中、粗食にしてせっせと動いて、自身と子どもの生命力を引き出そうというのとまったく同じだと思った。
本来的に備わっている自然の力を最大限に発揮するための知恵。
まだまだインスタントな生活の中で暮らす私にとって
お産は死と同じくらいに生物らしさを発揮し、生き方を表現する砦だ。
たとえそこで死んでも、真摯に大切にあるがままに迎えたい。
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以下余談。
昨日たわむれに吉村先生の書籍の感想を見てみたら、意見がぱっくり両極w
あと、もの珍しさの故医院のことをちらっとうわさに聞いたことがある程度だと、半信半疑っていうより、安易に否定的な受け取り方をされることもあるようだけど、、
一つ言えるのは、そもそもここに関心をもって来たり、産んだりしている当人たちは
死産でも自分が死んでもまちがっても医者を訴えるような覚悟では来ていない。ということだ。
だから否定的なのは構わないけど、ほっといてくれ。笑。って感じ。
生まれつきの体質や、胎盤の場所などでどうしてもなんかしらの処置が必要な時は、希望するなら現代医学の力を借りればいい。
現代医学のもとに、世界的に死亡率が低くなったのは数字的には事実だ。
でも一方、聞けば聞くほど、自力でうめたはずの(産みたかった)人たちが、
(第一子帝王切開の人がらくらく二人目を自然出産した例はたくさんあるそう)
自分の意思に反して、薬や器具や帝王切開でお産して「痛かった」「こりごり」「残念、悲しい気持ちだった」
という感想をもっていることの深刻さに私は注目する。
お産に関して、医師の管理する「安全」と自分の体の「快感」だったら、私は断然快感を選ぶ。
それにうまくいけば、自分の体がしてることが自分にとっては最も安全なはずだから。