流産経過〜自分を開けばやさしさに触れられる
次にいつ書けるかわからないので、多少?眠たくてもさえてるうちに書き留めます。
short stay の ことちゃん(おなかの子の名)。
女の勘、動物の勘の正しさをまた実感したような体験。
宿った時からどうにも確信が持てずに、「大きくなってね。育ってね。」と祈る気持ちがぬぐえなかった。
初診のまだ成長の余地ありの時期に、家族全員で病院に行けたこと。
どうにも衝動に駆られて、不安を抱えつつもブログを書いたこと、(2015/8/27記事「死を受容する〜妊娠報告」)
会う人会う人に、妊娠のことと「育たないかもしれない」ということをあわせて話してたこと。
どうしても、生きている間にこの子の存在を人に知ってもらいたかった。
それが結果的に、これ以上育つことができない。と知った私の癒しになっていました。
あるときにから、ことちゃんや子宮の声がしなくなって、
代わりに遠くのほうでちっちゃい人影がピョンピョンはねて手を振ってるイメージばかりが浮かぶように。
予感は2週間前の検診のときからあったのだけど(先生はもう察していらっしゃった。)
まだそのときは信じたくて納得できなかった。
つわりは続くし、出血もないからと、自分を説得しながら毎日朝を迎えた。
でもおとといの検診ではっきりと大きくなっていない姿を目にして、あぁぁ。。と。
何とも言えず力が抜けた。
やっぱりそうだったか。っていう気持ちがちゃんとあって、はっきりと納得できた。
去年からのshort stay baby のお話しや、(2015/6/10月草レポ記事集あり)
つい先日(親子で性の話の前編大人版)の月草でも死産の話題が大きかった。
いろんな面で、心の準備を整えさせてもらっていたんだなって、守られているな。って感じました。
だから、ショックとか、涙が止まらないとか、そういう精神状態ではない。
それは今も同じ。
流産するんだ。「お産の準備なんだ。」って切り替えたら
なんと、その日の夜にはっきりと陣痛が来ました。
自宅出産じゃん。って。流産を自宅でむかえるってことはとるに足らず珍しくもなんともないけど。
でも、真剣に次の子は上の子たちや手伝ってもらう家族の負担を考えても自宅が一番いいんじゃないかって考えてた自分としては
あぁ、練習させてもらってる。って。感じたのです。
そして、お風呂で陣痛の波に乗りながら、はじめて涙が出てきました。
本当に、私の気のすむまで待っててくれてありがとう。って。
来てくれてありがとう。って言いながらむせび泣きました。
私が一番悲しまなくていい状況で、ちゃんと合図をしてくれて、それまでちゃんと妊娠を信じさせてくれて。
ことちゃんや、自分の体のやさしさに涙が出てきました。
すると、出るわ出るわ、便が。。笑
ここ数年ではありえないくらい便秘だったこともあり、、。
息子のお産の数日前にも、一日中便意があって出し切った日があったのを思い出しました。
浣腸しなくても、ちゃんと体は生むのにベストな状態を知ってる。
でも、その日の陣痛は、便を出し切ったところでピタッと止まりました。
二人のお産のときも、数日間前駆陣痛があったので、今回もゆっくりくるのかなと、
ちゃんと予行練習させてくれてるのかな。とも思いました。
そして、あえて飛躍すると、その便をためてたことで、おなかのふくらみや重みが確かにあった。って感じられてたんです。
もしかすると、自分の妊娠を信じたい気持ちが、便秘にさせてたのかなと。
ただ、妊娠初期症状の一つともいえるけれど、それが私にとってはそういう意味もあったのかもと。
陣痛がピタッと止まった時そう直感しました。
妊娠してないってわかった私が、というか私の覚悟が決まったことを知った体が、
まず手放せるものから手放したんだって。
19日、引き続き陣痛があるかな。と一日まったり過ごしていたけれど来なかった。
じわじわと骨盤の開きだけを感じています。
20日のダンスのWS,明日明後日の外出、タイミング見計らってるのかな。
ついでに母の顔見て、美容院行って、土日にかけてっていうのが私のお産の三大ルール?笑
今回ももしかしたらそのコースなのかもしれません。
だとすると、誕生日がおんなじかも。なんてことも。
家族のことも。
今回夫の家族にも妊娠のことを早くから告げ、経過を話していました。
「ザ・2年前」の私ならそれ自体を躊躇していたかもしれない。
せめて予定日がはっきり出てからと言葉を濁していたかもしれない。
でも、とくに昨年からの急成長(笑)により、自分の父への思いを整理することが一区切りしてみたら
とっても夫の実家との関係が楽になりました。
すべては自分次第。
自分が開けば、優しい人たちがいっぱいいてくれることに気づけるんだと。
喜びも悲しみもたくさん共有すること、それを一緒に感じあえる信頼関係があるってありがたいことです。
助けを求めることも、前よりは上手になりました。笑
まだまだですが。だいぶ図太くなってはいます。
そして子どもたちにももちろん伝えました。
ちょこちょこと、息子は「おなかで死んじゃう赤ちゃんもいるんだよね」と話していました。
ちなみに、絵本「すてきなさんにんぐみ」を読んで「どうして男の人ばかりなのに子どもが増えるの?どうしてこんなにたくさんいるの?」(親がいない子の話をすることに。)
「男はいのちのもとがあるだけ、女の人はあかちゃんがうめる。丸いのがころころころがって、おへやにくっついて栄養をもらう。」
など受精に関しての理解が定着してきてるなあと思える発言が増えてきました。
(しょっちゅうしょっちゅう話して、子どもの理解はこれくらいです。笑)
「おなかの赤ちゃんはもうこれ以上大きくなれないから、小さいまま生まれてくるからね。そしたらさよならしよう。」と伝えました。
するとふたりとも、風呂でうんうんはーはーしてる私にはりついて、
「赤ちゃん出てきた?」と連呼。笑 うるへ〜…
でも、見守ってくれる気持ちがうれしくて心強く感じました。
出てくるのがウンチだけでも(苦笑)「赤ちゃんが出てくる準備なんだよ」といえばそんなもんかという感じです。
何とも頼もしいじゃありませんか。
夫は、妊娠が分かった時からどうも私が不安がってるということを知ってはいましたが、私よりは楽観的だったよう。
はて、男の人の気持ちのもやもや、みなさんどこにしまってるんだろう。
あまり何も感じない人もいるだろうけどそれはそれで自然なことだと思います。
私はお産を家族で待つことで、一区切りできる気がするので、状況が許せばそうしたいと考えて、お産を待ってます。
でも病院で立ち合いなどなしにお別れすることになったら、その子の存在を抱えるのがお母さんだけになりがちというのは、
想像できますし、実際お話を聞いていてもそんな気がします。
最後に、、久しぶりの陣痛にビビりました。笑
はじめ、あぁ、きたぁ。。って。。無心に、イッチャッて、そのまま逃がすので精いっぱい。
思ってたよりずいぶん早いタイミングのお産となって、その心の準備まではできていなかった。。
軽く死を意識するだけの何たるかはあります。(やっぱこのぎりぎり感が生きてるって感じなんだよな〜。ぶつぶつ。)
そうそう、波があるわよね。やっと思い出して
弱まった時に横になって寝て、また来たきたぁ。って乗っていく。
そして「いいよ〜。きていいよ〜。」って言ってるとふ〜っと楽になるのが分かった。
自分の痛みに必死で逃してるだけのときとは全然違う感覚。
予行練習もスパルタかもしれないけれど、ちゃんと体作らなきゃって思い出させてもらった気がしました。
(つるっとうめる人は大丈夫だと思います。私ほっとくと時間かかるタイプのようなので。。)
話に聞くより、経験だなあ。
妊娠中もたくさんの場所、人に出会わせてもらって、楽しい夏を味わわせてくれて
たくさんのカレーを食べて(たぶんことちゃんはカレー好きだったと思われる。)や
気持ちいい風景を見させてくれて。
流産っていうお産を経験させてもらって、また私今を生きれるじゃない。命燃やせるじゃない。って。
そういう感じです。
正直、同年代の子たちの社会的な活躍がうらやましいと感じることもある。
でも、今の私の体は、子どもたちの命をこの世に通じさせるためにあるって。
それが今の私。
そして着々と未来の私への投資をと歩み進めていこうってとこです。
今日、興奮のまま夜更かしできてるのは、つわりがちょっと変わったからかと思います。
これからどう変わるかわからないけれど、全部ゆだねていってみます。おやすみなさい。
追記 妊娠のことをお伝えしていた方へは
またお会いしたときご報告とお礼を伝えたいと思います。
聞いてくださったことで救われたこと。私は大丈夫なこと。