死から与えられた力

ずっとずっと胸にある言葉がある。


「かけがえのない者の死は、多くの場合、
 残されたものにあるパワーをあたえてゆく。」



写真家・星野道夫さんの言葉。
 誕生・生死・再生…自然をみつめる目がとらえた言葉はどれもぐっと
 真実味をもって腹に落ちていく。



父が亡くなる数か月前に、「星野道夫の宇宙」という展覧会に足を運び
 作品集を入手したことを、いま展覧会のスケジュールをみて知った。
 あぁ、そういうタイミングで出会っていたんだ。この言葉。
 だとすると、10年ほど私の胸にとどまり続けていたことになる。



2014/10/9。
 こどもとあゆむ会 サロン月草の記録を書きました。
 長文ですが、ぜひご一読を。

http://ameblo.jp/kodomotoayumukai/entry-11936918786.html


流産や死産を通じて得た体験や思いを共有する場を
 Short Stay Baby という言葉を見出した奥中竹代さん(たけちゃん)とともに
 開くことができた。
 念願の、こういう話がしたかった。
 本当に私にとって特別な日になった。




そしていまやっと、冒頭の言葉を紹介できる機会を得たな〜と。


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母方のいとこつながり12人のうち、私は末っ子です。
 10歳の時に、一番上の従兄が亡くなりました。
 24,5歳だったと思います。
 死因は今も知りません。
 離れていたので年に2,3回会う程度でしたが、
 面倒見の良い、やさしいお兄ちゃんで、
 初任給をいとこのお年玉にくれたような人でした。
 


私がはじめて人の死体と対面したのはそれが確か初めてでした。
 背が高くて、肌に張りがある青年が動かずにいて
 鼻に詰め物がしてあった。
 焼くと、しっかりした頑丈な骨格が残っていました。
 なにがショックだったのでしょう。
 とにかくずっと泣いていました。
 死体が怖かったのか、お兄ちゃんが亡くなったことが悲しかったのか。
 こういうときは泣くものだと思っていたのか。
 当時の私のことはわからない。



でも、これがどうやら「私」のスタートだったようです。



人は死ぬものなんだ。



それをしっかりと刻み込んでくれた。



最近何度も書いているようだけど、いつも明日死ぬような感覚がある。
 じたばたしたり、踊らされてるひまはない。
 自分の直感を信じるだけだって。



その10年後、父の死を経験。
 かいたものや写真や子どもたちを残したい気持ちが強いのは、
 私自身というより、荒川義明という人の生きた証を残したいからだと思う。
 すばらしかった彼を残したいといつも思う。
 本を書きたいと常々言っていた彼は私の中に宿ってる。
 孫を楽しみにしていた彼を思う。抱かせてやれない悲しみも。

 


年始、夏、誕生日前。
 父の死と向き合うという今年の目標、私の土台をつくった経験、私が生まれ持った使命。
 これらを意識するきかっけをいただきました。
 それぞれブログにも書いたけど、
 ふんどしパンツ〜Funty発案者で諸々三河を中心に大ブレーク中の三角由恵さん(よっちゃん)による
 「たいわ」(体の声をきく)も大きな後押しになって
 今年さくっと、方向転換やチャレンジを始めることができました。




自分が本当にしたいことを疑わず、封じ込めず、躊躇せず踏み出せた。
 おもいがけず、この3日間高揚の中”突き抜けた感”があります。
 この力はなんだろう。と考えた時
 サロン月草でお話に出てきた赤ちゃんたちが浮かびました。
 お話を聞かせてもらったことで、少しでも触れ合えた気がした
 そらに帰った赤ちゃんたち。
 彼、彼女たちからもまた、思いがけないほど大きな力をいただいた気がします。




ちょっと風景が違うの。


第3の誕生。



 
家庭、学生時代、同棲時代、子育て時代、こどもとあゆむ会…
 それぞれのステージで本当にたくさんの出会いをいただいた。
 出会い一つ一つが奇跡的といっていいくらい、意味をもっていた。
 他の親族や友人たちの死も重なった。
 その経験と応援が急に一つにまとまって、ぐっと押し上げてくださったという感覚。




形におとしていくのはこれからだけど、
 内面がすご〜く変わりました。
 ずっと無意識に触れないようにしていたしこりがやっと取れてきた。
 前を向けるようになったということなのかな?



世の動きには怒りを隠せないことがたくさんある。
 その中でも、私自身がもった役割と意志をもって、
 限りある時間を生きることはできないことではないと思いたくなっている。




そして
 私が死んだとき
 周りの人に少しでも力が与えられたらと、願う。