生と死と 〜「玄牝」上映によせて〜

どうも、いざ書こうとするとこんな具合の内容になってしまう。


でも、いいか。
 これが私。


14日豊橋上映を控えた映画「玄牝
 テストを兼ねてお先に見させていただきました。
 観終わって数日たって、またふつふつとわきあがる思い。


遅かれ早かれ、いつか死ぬ命を産んで育てているんだな。
 だからこそ、尊く、愛おしいのだな。


いつか死ぬ命、という意識を改めて持ってみて
 むしろいまここにあることが、この胸に感じる息づかいや体温が
 まぼろしのように思えて不思議な気持ちになりました。
 


死があっての生、生のあるところ必ず死がある。
 生と死と性と、、それをいやでも考えさせられる映画だと
 初めてノンストップで見終えて思いました。


思うことは人それぞれだと思います。
 チャンスのある方はぜひご覧ください。


と、個人ブログなので続きを。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

子どもたちが寝てしまえば、こんな思いをふっと抱き寄せられるけれど
 現実はいま産後の落ち込みの波が寄せてきていて
 一人になりたい気持ちが強い時期に入ってきています。
 人前ですら、子どもを怒鳴ってしまうことがここ数日あって
 あぁ弱ってるな〜とも思います。
 


でも今日思い切って仲間とあって、一緒に過ごして、
 (子どもたちには申し訳なくて毎朝先に謝ってはいますが)
 しょうがない、ってちょっと自分を許す時間が持てました。
 解決ではないけれど、少し楽になりました。


多謝。
 私はラッキーです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先日1歳の病気の子を放置して死なせたとして実刑判決が出たと新聞で見ました。
 とても他人事ではない。
 さすがに死なせるほどにはしないけれど、弁護士の主張のように
 もしかしたら当時お母さんは相当「キテタ」のではないかな。と。


本当のところはわからないから何とも言えないけれど、
 気になったのは、その責任なりなんなりが、母を支えるべき周囲に言及されず
 ただ残忍だ、という言われ方で、母個人のみが裁かれて一件落着した印象。

 

世の中いろんな人がいて、いろんな母がいて、いろんな家族がいて
 そんな中で一人の子が命を落として、
 保護者である責任の重さはあるにせよ、
 じゃあその保護者に助けが必要な時、だれか手を差し伸べてくれたのか?
 彼女を孤独にさせない環境があった?


残念な事件から結局なんの教訓も学びもないまま、裁いて終わり。
 という記事からの印象。


これをみて、少なくともマイナス思考の今の私は
 「あぁ助けてくれないんだな。」って思った。
 1歳になるまで育てた。
 それだけでも環境はまちまちながら大変なことだ。



子どもを国で、地域で、学校で、家族で育てるっていうけれど
 結局なにかが起きてしまえば、親の責任、母の責任。
 これが日本の現実。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いつか死ぬ命を、大事に育てたい。
 そのはかなさにかけた努力と愛情を否定されたような
 (記事の彼女と、自分の境界があやふやになってしまって)悲しい記事だった。 


こんなふうに筋の通った話が難しい状態でいますけれども、
 そんな自分もゆるしながら、みなさんの助けを借りながら
 とりあえず来週の上映会までは少しだけがんばってみようと思います。
 励ましに、ぜひいらしてください。笑