今日を生きる

「今日を楽しく生きる」というタイトルにするか一瞬迷った。
 でも、いつも楽しくというのは難しい。
 現実は「必死に」というのが近い。
 ありのまま、できればよりよく、大切に生きたい。


映画「いまを生きる」(原題: Dead Poets Society) - 1989年(米)
 映画を家族共通の趣味としてきたアラカワ家。
 この映画は高校時代に両親のすすめで見た思い出の映画。
 なつかしい。



サロンやWSの報告、上映会の予告、勉強会の感想、子どもたちの成長など
 書きたいことがたくさんあるけれどどうしてもPCに向かうことができなくて
 今、やっと書けると思ったら全く違う内容でした。
 最近ともいえるし、ずっと、ともいえますが頭から離れない。




いつ何があっても、悔いのないように生きたい。



学生のころまでは、子どもを産むまでは死ねない、と思っていた。
 子どもを産んでからは、孫をみるまでは生きていようと思いはじめた。
 でもさっきふと、母をみとるまでは死なないでいたい。に変わった。


先日いろんなことを手放しで、幸せだな。としみじみ思って
 今死んでも悔いなし、と相方に言ったけれど
 親より早くは死ねない。
 けれど、子どもに孫を期待するのはやめようと。
 今母はぴんぴんしているし、子どもたちが望み、かなうのなら孫をみるのもいい。
 でも人に期待をしない、人を変えるより自分が変わるスタンスでこれからもいたい。



社会情勢、環境の変化、天災…大なり小なり避けられるものではないのだとしたら
 とにかく、今生きていることに感謝しよう。
 そして、本当にやりたいことは後回しにしない。
 いただいた命、どう燃やすか自分で決める。


子どもと過ごしていると、本当に「今日」「いま」しか存在しない。
 彼らが「いま」輝くことをサポートできているか?
 現実は難しいけれどこんな一人の時間、ふと我に返ると子どもたちなりの成長をかわいくいとおしく思う。
 生まれてくれありがとう、と思う。
 毎晩寝かしつけの時間は、そんな一日の反省と感謝の時間。
 子どもを恥ずかしげもなく抱きしめられるのはあとどれくらいだろうか?
 抱きしめた感触が胸にぐっとくる。



食事ひとつとっても、もしかしたら自分が食べさせるこの食事が彼らの寿命を縮めてしまうかもしれない。
 などと頭をよぎってしまう、そんな時代、日本で暮らしていて
 もしかしたらどこか別のところで暮らすようになるのかな?どこにしよう、
 なんてことも、頭の片隅にありながら、
 それでも、今ここにある幸せを発揮できたらと思う。
 子どもたちも、命あるうちにできる限り楽しく、彼ららしく輝く時間をすごしてほしい。



私の人生だけのことだったら、太く短くのイメージなのですが
 進行形で世界の環境汚染、人権侵害により志半ば、苦しんでたくさんの命が絶たれていることは悲しい。
 次世代に向けてそのことはできる限り勉強していきたいと思います。