身につけるものが意味すること、死という拠り所

たしか小学生の時だったと思う。
 年相応に?おもちゃのアクセサリーをじゃらじゃらつけて
 はしゃいで遊んでいた頃
 でかけるときに、うちのお店の忘れものとして置いてあった
 ちょっと高価にみえるおもちゃのビーズのネックレスを
 つけていこうと思っていると、

「女が安っぽいものを身につけるんじゃありません!!」
 …ま、今となればいろいろつっこみどころはあるけれど
 このように母に厳しく言われ、
 子どもながらにも「そんなにムキにならんでも。。」
 と思いつつ漠然と「安っぽいものを身につけてはいけない」
 と胸に刻んだ。

なぜか最近このエピソードをよく思い出す。
 
一方、父は「気高い人ほど身につけるものが少ない。」
 というようなことをいう人だった。
 仏像などに見られる仏さんは、位が高いものほど飾りが少ないらしい。
 高校生くらいの時、私がいわゆるチャラチャラしていると
 さりげなくこの小言を言われた気がする。

今の私の解釈は
 ・身につけるものに見合う自分があること。
質の良いものを身につけるならそれに見合う自分があること。
その逆もしかり。安っぽい人格にならない。
 ・武器やアイテム、アイコンとしてなにかを身につけていなくても
 自信がもてること。自分の真実をもっていること。
 
この2点だろうか。
 
そして、死者は何も持っていかない。
 死という真実のもとに、その確固たる強さのもとには
 それ以上なにもいらないのだ。
 (「真」の語源が死者をしめすことはとても興味深い。)

死者は彼を愛した人ではなく、彼「が」愛した人に生き続けるという。
 死という真実は弱い生者の拠り所のひとつになると思う。

私を愛してくれた人の死が増えていくほど、拠り所は増えていく。
 きっとそのたびに強くなれる。
 今はそう思う。

今日は友人のご家族の通夜に行く。